がんの宣告と余命宣告
余命宣告ほど難しいことはありません。
特に最近では、がんに対して状況を包み隠さず話すため、どうしても余命宣告を避けられないことがあります。
緩和医療の義務研修が大学病院時代にありました。
その講習では、がん宣告の仕方をロールプレイします。
患者さん役やお医者さん役、両方を行い、お互いにどういう印象を持ったかなどの意見交換もします。
ちょうど、その研修会に参加していた時、肝臓専門医さんががんを宣告されたあとだったので、
身につまされるというか、迫真の演技だった?!気がします。
がん宣告をすると、その後患者さん側としては、余命がどれぐらいか気になります。
最近では、がん=死ではないため、がん宣告=余命宣告ではなくなりました。
余命宣告は尋ねられた側も答えるのは非常に難しいです。
ちなみに何回も、肝臓専門医さんの主治医に余命を聞こうかと思いました。
でも結局1回も聞きませんでした。
なぜなら、その人の生きるエネルギーレベルで、余命は全然違うことを
体験で感じているからでしょうか。
そして、長く生きることがすべてではなく、
どれだけ充実して納得の人生だったかが重要だと思うのです。
こういう厳しい状況の時、うろ覚えながら、赤い蝋燭と人魚の物語を思い出します。
あとろうそくがどれぐらい残っているのか、蠟が足されて寿命が延びないだろうか・・
などとつい想像してしまうのでした。
いつでも、難しいし、いつでも考えるべき答えのない課題だなあと思うのでした。
(今日はまじめなお話になりました!)
肝臓専門医さんの命日が近いからかな~