そこから、“同業のよしみで・・”とはじまり、治験に参加してほしいとなったらしい。

その治験が、大腸癌肝転移で治癒切除出来たひとで、その後無治療群と化学治療半年する群にわりつけ、

予後をみるもので、目標人数300人で、もう10年近くリクルートしているとのこと。

宏樹としては、がんが破裂しているし、絶対化学療法が必要なので、化学療法したい旨伝えたら、

もしどうしても化学療法をやるなら、紹介状を書きますよと。≒放りだし?

今日は忙しくて紹介状を書くのは無理なので、今週中にと。

すごい展開・・

”できれば、ここでお世話になりたいが、もし他で化学療法するとなると、

ストーマ閉じるときはどうしたら?”と宏樹が聞くと、それはA先生がとじてくれるとの返事。

”宏樹としては、閉鎖は2~3年後を考えています”と伝えたと。

A先生も、”最後には来週の消化器のミーティングで内科と相談するので”と、”もう一度CTをとり、

その結果とあわせて、来週外来に来るように”となったらしい。

ちなみにCTの伝票には、なんと治験と印刷されていた。

”内科は外科より、厳しいですよ”と言われたり、”これは世界初の治験です”とか

”肝臓とっていると、化学療法の副作用も強いのです”とか言われたらしい。

”でも無治療は・・患者となるとなあ・・と。そんな危険なことはできない!”と宏樹。その通り!

11時ごろにA病院から宏樹がかえってきたので、外来を交代し、私は病院へ。

その後宏樹のPCが壊れて大変だったらしい。

夜、改めて、今後を相談する。

また医療難民の危機?と。

治験参加しなければ、バイバイはないでしょう、ひどい・・Bクリニックの先生とも電話で相談したよう。

Bクリニックの先生に“A病院の本性がでましたね。と。A病院は大衆食堂ですから”と。

“先生は、もっと違う病院のほうがよいかもしれませんよ”とも言われたと。

“うまく治療が進んだことが意外だった”とも。また“A先生、もうちょっと融通効くかと思っていました”と。

さらに、“他のがん専門病院は、さすがに紹介は避けたほうがよいでしょう”と言われたらしい。

A病院の先生は皆1匹オオカミだから、一応紹介していただけますかと聞いたほうがよいが、

他に病院はないでしょうとも。うーん。

この2度目の医療難民問題に、個人的には今の完全寛解CRの段階で

ほかの病院に転医するほうがよいのではないかと思わなくもなかったが・・

再発してから、悪くなってからではどこもとってくれない可能性が高いので、

今のうちが・・もちろん悪くならないことが一番だが。悩みは深い。

 

高橋医院