術後の経過
私は富津でお仕事。ひどい雨風で夜中におきるほど。電車が心配で夜中におきる。
朝、一応6時半出発でいくが、電車大丈夫で、蘇我で時間待ち。
富津では2時間に48人来て大わらわ。帰りに宏樹の病院へ。
宏樹はオペハイからウィズドローぎみ。
点滴はヘパリンに、ビタミン入りのソリタ。さっき7周歩いてきたと。
もう看護師さんついてくれない、とがっかりしている。
飲水も可になったと。エビアン取ってとなり、冷蔵庫から渡す。
尿は赤めで濃い感じ。まだ脱水様。予定表では、明日から重湯。
左手先のピリピリもなくなったと。
A先生の回診は朝8時ごろで必ず朝夕来てくれると。
でもDr.だれもおなか2日間触ってないよ!と。
なんとなく、腸が動いていて、はっていると。ガスもでた。
オペ室はストーマに慣れていないから、ペタッてはって、出口はゴムでとじていて、??だった。
確かにピンクの輪ゴムが巻いてあった。さすがにストーマは空で、でも1回Nsがガスを出してくれたらしい。
A先生が、やけにあかるく、昨夜はワン チャンス!ありますといったらしい。
今日も今後の手術の説明で、膀胱もストーマになり、2個ストーマができると。
宏樹がちょっと嫌な顔をしたら、治るんだからいいじゃないですか!と明るくいったと。
外科的発想だよね!と何度も言っている。
人間として、みてないよね。人のふりみて、我が身を直せ。触らないのもいけない。と。
重粒子線がもっと安くなったら、外科は仕事奪われるんだから、骨盤全的なんてやらなくなるよ!と言っている。
外科の先生には言えないけどと。内科の先生と相談しようと。
絶対内科の先生に、A先生のムンテラの紙見せるんだ、こんなひどいこと言われたんだからと。
今日は、本当にだるそうに経過。定時に病棟をさり、午後の仕事へ。
ボストンの秋