どっちがタイプ?
清少納言 の 枕草子 紫式部 の 源氏物語 いずれも王朝文学に 燦然と輝く名著ですが 比較するのが困難なほど その内容は全く異なっています 枕草子は 「をかし」をモチーフにした洒脱なエッセイ 人やものごとを 客観的 理性的に見て 料理していきます 源氏物語は 「あはれ」をモチーフにした 壮大な恋物語 人の生き様を 主観的 情緒的にとらえて 物語を紡ぎます こうした際立つ作風は それぞれの著者の性格によるところが 大きいとされています 清少納言の性格は すかっとしていて 鼻っぱしが強い 勢い余って ついつい余計な一言まで加えて 人を論破してしまう 一流でなければダメで 二流三流は許せない ということで 才はあるが生意気で嫌な奴 とも言えます(笑) その反面 打たれ弱いところもあって 枕草子には 道隆が死亡し道長が権威を握ったあとの話題が むしろ多いのですが しかし悲壮感はなく 道長 彰子に対する批判もなく 道長にはむしろ好意的ですらあったため 清少納言は道長のスパイなのではないか? との噂が出たこともあり その際はかなり落ち込んで 4か月間も実家に帰ってしまったそうな 彼女は 後宮での会話の名手として名を馳せていて 時期を外さない瞬時の対応で 短く わかる人にはわかる式の 相手の知識や才能に訴える受け答えが出来る 自分は美人でないと思っていたので 尚更 話術に磨きをかけていた との説もあるようです 自然や人の情感に敏感で 超がつくほどの 好奇心の旺盛さを併せ持つ 女嫌いで 主人である定子以外の女性には全く興味がなく その一方で 一流の男好き しかも 一流でない男には興味を示さない そんな性格の彼女の筆運びは きびきびしていて 連想を自由に飛ばし 思いの赴くままに筆を走らせる 実録的描写に優れ きりっと引き締まってスピード感がある文体 ノリがよくて おまけに軽妙な風刺まで利かす 個人的には こういう筆運びは 大好きです!(笑) ちなみに彼女 バツイチで 離婚後に28歳で中宮に仕えるように なったそうです 旦那さん 大変だったのかな?(笑) 一方 紫式部の性格は どちらかというと ネクラでカマトト 漢字や歴史に詳しいことを自慢しながら 周囲への配慮から 他人にはそのことを隠し続けます 当時の女性は 漢字(学問)は必要でなく むしろ漢学に長けると女らしさに欠ける とされたので 致し方ない処世術であったようですが つつましく 目立たないようにしていながら 自らの才能には ただならぬ自信を持っていたようで 源氏物語の空蝉は 自分がモデルではないかと言われています 人には本心をすべて打ち明けさせて 自分の本心は決して明かさない こうした性格は 隙がなさ過ぎて どこか意地悪に写ります 実際に後宮では 周囲の女房たちからの嫉妬に悩まされたようで 貝のように閉じこもり ネコをかぶって 女の修羅場をくぐりくけようとしたとのこと カマトトと言われる所以は そんなところにあるのかもしれません それでいて男よりもむしろ女好きで 紫式部日記には 多くの女房の容姿 衣装 立ち振る舞いが 詳述されています 当時としては新しい文学ジャンルである 「物語」への意識も強かったようで 男が書いた正史よりも 物語の方が人の本質を著せると認識し 歴史書などは事実を記したメモに過ぎない と述べています そして この時代の女性を 自分の運命も決められず 幸せも他人任せの受け身な生き方しかできない 不自由で哀れな存在としてとらえていました 源氏物語が 実は女性を描いた作品であると言われるのは そのためです また 前回ご紹介したように 清少納言に対する 一方通行的な激しいライバル心を持っていた一面もあります そういう意味では 色々な意味で 清少納言よりも 女らしい方だったのかもしれません? あ このコンテクストで 女らしい なんて書くと 怒られるかな?(苦笑) ちなみに 彼女は未亡人で 27歳の晩婚でしたが わずか2年で夫は先立ってしまい 夫の死後に30歳で彰子の宮に仕えるようになりました さて このように 対照的な性格だった 清少納言 と 紫式部 彼女やパートナーにするのは どちらのタイプが良いでしょう? 読み手の皆さんは どう思われますか? 書き手は ユーモアを解し 軽妙洒脱な会話が楽しめる清少納言に魅力を感じますが 紫式部の 物語や 当時の女性の生きざまに対する深い洞察にも 魅力を感じます うーん でも どちらか一方 と言われたら 清少納言かな? でも お恥ずかしいことに 枕草子も源氏物語も まだきちんと読んだことがないのですよ! そろそろ歳も重ねてきたので ふたりの性格を思い浮かべながら 読んでみようかと思っています
高橋医院