ガブリエルが
AIには知性がないと考える理由の説明は
彼が提唱する新実在論の核心に迫っていきます

@現代アメリカを支配する唯物論的一元論では現実を捉えられない

現代アメリカを支配している唯物論的一元論が
資本主義の行き詰まりから 疑問を投げかけられるようになり
今 多くの哲学的な動きが起こっている

哲学者として成し遂げたいことのひとつは
あらゆる種類のギャップを埋めること

唯物論的一元論に基づく科学的世界観が描くより
現実はより複雑だと判明したら
アメリカの政治家も より意識を高め
他の文化や環境などへの関わり方に慎重になる可能性がある

人は 統一可能ではなく 異質な現実の複数性に組み込まれていて
この世界の複雑性は
デジタルテクノロジーをもってしても捉えられない

複雑性こそが精神の豊かさかもしれない

@精神を捉えようとする哲学の試み 思考の感覚

ここでガブリエルは
もし人間の思考が感覚なら? と仮説を立てます

たとえば 人は本の一部を見ただけで
本の全体があることが どうしてわかるのか?

それは 見て 聞いて 触って 判断できるから
考えることは周りを見ることでもあるから

では 人はどうやって
さまざまな感覚をひとつに結びつけられるのか?

それはまだ誰もわかっていない
誰も「思考の感覚」を想定していないから

考えることは 見渡すことでもある

こうした考えは
脳の機能を再認識しなければならないから
非常に革命的な発想である

現実とは 客観的に存在する表象で
人と人との間には 互いを隔てる境界は存在しない
互いに影響しあいながら認識を成立させている

人の心 身体には 人を現実から隔てる境界はない
人はリアルなものとして現実の中に存在し
そのリアリティ 現実性は 本質的に表象可能なもの

人が持つ現実感は 人が生み出しているのではなく
現実をそのまま受け入れていることで生まれている

そうだとすれば 観念論は正当化される
ドイツ観念論は
昔からずっと優れた認識論の視座を与えてくれている

思考は感覚である

だとすると 従来から言われてきた理性と感情の二元論も
揺さぶられる

人間の思考とは何か?
そこに倫理はどう絡むか?

ガブリエルは この「思考は感覚である」という説を
とてもとても力強く訴えますが

斬新なアイデアであることは なんとなく感じますが
うーん わかったような わからないような、、、(苦笑)
高橋医院