ドイツ観念論7
ニューヨークで思考するガブリエル 自らの出自ともいえる ドイツ観念論の源に迫る カントとヘーゲルの解説が始まります <ドイツ観念論> @カント ドイツ観念論の祖であるカントは 世界で最初に 自由と民主主義を価値体系として評価し 自由意志という概念を導入して 現代人の精神構造にとても大きな影響を及ぼしました 意志とは 人が何かなすべきことを思い描き 実行 行動する能力で 人は あらゆる状況において すべきこと すべきでないことがあることを知っている 自由意志とは 物事が人に任されている状態で 自由の在りかたを規定する 人間には 欲望を超えた理性的な性質があり 自由意志は理性から生まれる 社会を構成する人それぞれが 意志を有していて 社会ではそれらが複雑に混じりあっているが 自由意志は それらの意志を調整し最適化する 自由意志の調整機能が上手く働いていれば 道徳と自由は同じになる 自らが自由な存在であるためには 他者も自由な存在として扱われなければならない 人々がそれぞれの目的を尊重しあう社会は 良い人が作る良い社会で 人間の自由意志の総量を増やせる しかし悪人は 自由な人々を破壊したがるので 完全に自由ではない 社会システムを構成するインフラは 人が出来ることを規定するが そこには多くの意志があり それらが調整されている複雑なプロセスこそが社会である この社会の複雑性が 人を不安に駆り立てる 人々は 自分がリアリティから切り離されていると感じ 複雑性の高まりに脅威を感じている そして 社会の複雑性を減らし 社会の本質について幻想を作り出すことで 不安に対処しようとする これが現代の根本的な問題で 哲学は複雑性を理解するのに役にたつ @ヘーゲル ヘーゲルも ドイツ観念論を代表する思想家で 著書の「法の哲学」により 法の支配とは何かを説明し 現代の民主主義を定義しました 民主主義とは 自由意志を欲する自由意志であり 公的な判断 人々の意志の調整がなされる場である 正義とは さまざまな意志の調整を行い そのバランスを確立させることである 世界史とは 自由という意識の進歩に他ならない とも語りました こうして カントからヘーゲルへリレーされたドイツ観念論では 思考すること・人間であることは 判断することと考えられます うーん さすがに理屈っぽいドイツらしい(笑) ここから 自由意志を持った人同士が形成する社会のなかでの 人の在り方について話が展開します <人間の自由意志は 絶えず自らを攻撃する> 人は 自由意志を持つ 社会的な存在であり 自分自身をイメージでき 他者をイメージでき 自分に対する他者のイメージも想像できる そして 自分の行動が他人にもたらす影響に照らして 自分自身を考え 行動がとれる 社会は 鏡を向き合わせたときに起こる無限のループのようなもので 人の自由なイメージが 複雑に反響しあっている しかし 人間の自由は 絶えず自らを攻撃する なぜなら人は 他人に対して抱くイメージ 他人が自分に抱くイメージを 楽しめない 満足できないから そして 自分の人間性を否定したいという願望ほど 人間的なものはない そもそも人は 本心では 社会の複雑さを煩わしく感じ 人と一緒にいることは好きだけれど 面倒なことでもあると思っている 社会では 人と人はミラーリングのように互いを映しあっているが それはいつも不完全なものである 人は 他者からある視点で見られることを望みながら 他者が自分に対して力を持つ事実は忌避したい 他者の自由意志は 自分が持つ自分自身のイメージを損ねる可能性があるので 恐れてしまう これが 社会が持つ複雑性に対する 人の反応である この反応を用いて 今の世の中でポピュリズムは 社会性を破壊しようとしている いわんとすることは わかる気がします そうした人間の無意識の部分に ポピュリズムが巧妙に働きかけることも納得できます でも どうして 人間の自由は 絶えず自らを攻撃することになるのか? そこがもうひとつ わからない、、、
高橋医院