江戸時代の高橋(たかばし)
ここ八丁堀は
江戸時代には 与力や同心が住む屋敷が並んでいました
今の東京駅付近に 北町奉行所
有楽町駅付近に 南町奉行所 があり
そこに勤務する人達が住んでいたようです
このHPのENGLISHページでは
与力・同心を「SAMURAI POLICE」と意訳しましたが
十手片手に粋に羽織を着流して
庶民の暮らしを守っていたのでしょう
イメージするとしたら
まさに「大岡越前」や「遠山の金さん」の世界かな
そういえば
テレビの時代劇で「八丁堀の七人」というのがありましたし
当院のご近所さんには「焼き鳥・右門」さんがあります
そんな歴史のある八丁堀ですが
当院の前の鍛冶橋通りを新川方面に進むと
高橋(たかばし)という名前の橋があります
ときどき患者さんに
高橋医院と高橋は何か関係があるのですか?
と聞かれますが
うちは「たかはし」
橋は「たかばし」
何の関係もありません
ただ 新川方面から来られる患者さんに
道順を説明するときは便利です(笑)
中央区の資料によると
亀島川にかかる高橋は
江戸時代に江戸城と深川を結ぶ道にかけられた橋で
赤穂浪士や堀部安兵衛が渡ったとか
この橋が出来た当時は
亀島川を物資の輸送で行き来する船舶が多く
そうした船舶の運行を支障なくするため橋桁を高くしたので
高橋という名前がついたそうです
意外に単純な理由のネーミングですね(笑)
広重の名所江戸百景の秋の部に
鉄砲洲稲荷橋湊神社という1枚がありますが
この絵に描かれているのは まさに高橋の下を渡る船から
当院のある八丁堀方面を見た景色だそうです
今でいうと
鍛冶橋通り沿いに
新川方面から八丁堀方面を眺める構図でしょうか
正面に見える水路が
昭和時代に埋め立てられた八丁堀の由来となった「八丁堀」です
左側が南八丁堀 右側が本八丁堀(当院があるのはこのあたりかな?)
当時は高橋から
きれいな富士山が見ることが出来たのですね!
自分が住んでいるあたりの江戸時代の光景が
浮世絵で見られるのは
なんとなく素敵です(笑)
江戸時代のこのあたりはこんな風景だったのか~
なんだか不思議な気分です、、、
ちょっとタイムマシンに乗ってみたくなりました
同心さんたちに アヤシイ奴!と
職務質問されちゃうかな?(笑)
高橋医院