「だから」と「なのに」
前回ご紹介した 「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか という新書で語られていた 「個性」ネタを続けますが ベースとなる共通性があってこその 固有なもの というコンセプトを語る文脈で 「個性は 共通性と固有性のバランス配分で決まる」 と語る方がおられて 面白かったです ブランドデザインを専門にされている方ですが 彼は 「良いアイデアには “だから” と “なのに” の両方が必要だ」 と言われます “だから” にあたるものが 共通性や規範 “なのに” にあたるものが 固有性や革新 “だから” がないと 奇妙なだけのものになってしまうけれど でも “だから” だけでは つまらない そこに “なのに” が入ることで 個性的で面白いものになる “だから” と “なのに” の バランスが重要というのです なるほど ブランドデザインの分野では 確かにそうなのでしょうね 根底に “だから” があるが故に “なのに” の斬新性や個性が際立つ でも このコンセプトは 他の分野でも認められる普遍性があるのかな? という疑問も少し感じました そう思いながら読んでいて “だから” にあたる共通性や同一性の重要性と そこから離脱することの難しさについて ふと思いが及びます 確かに基礎がしっかりしていない個性は 独りよがりになってしまいますが しかし 基礎があまりにこだわりすぎると そこから離脱して新たな世界を作り出すことは 難しくなってしまう パラダイム・シフトが なかなか生まれないのも むべなるかなと思ってしまいます ブランドデザインの専門家が言われた “だから” と “なのに” のバランスは こうした文脈においても重要な気がします “だから” がないとダメだけれど その比重が大きすぎると “なのに” を生み出すことが難しくなる 前回のブログの最後に書いたように 書き手が 古典芸能の継承者達が語る「個性」に興味があるのは こうした疑問を有しているからかもしれません(笑) 編者のまとめで もうひとつ面白かったのは パーソナリティイメージ と アイデンティティ は 一致しない というお話でした やはりブランディングの専門家の方が 語られていましたが 「自分はこうなりたいと思っている内部視点の個性 = アイデンティティ」と 「外から客観的に見えている個性 = パーソナリティイメージ」は だいたい一致しないというのです そして なんらかの新しい企画を進めていくうえで 重視されがちなのが パーソナリティイメージではなく アイデンティティであると なぜなら 人は一般的に パーソナリティイメージとアイデンティティの乖離に 気がついていないから 要するに 自分が他者からどう見られているかを 認識できていない 個性について語り 考えるときに 自分が考え感じているアイデンティティを 評価するだけでは不充分で 他者が見ているパーソナリティイメージも 考慮しなければいけないのに そうした視点が 欠如しがちであるというのです この話は面白かった 自分のアイデンティティを 客観的に評価したり あるいは自分と他者 周囲との関係を 俯瞰的に見るのは 確かに難しい 読みながら なんだか苦笑いが出てきそうでした(笑) この本の最後には 個性と社会との関わりについて 言及されていました 個性というものは 周囲が認めることで初めて成立する相対的なものだから 社会は 他者の個性をいかに許容するかという視点を 大切にすべきだし 個人も 他人の個性を認める努力を行うべきで そうした努力は 自分の個性磨きよりも優先されるべきであろう なんとなく ユニークな個の価値を認めなくなるような雰囲気が 世界に広がりつつあるような今のご時世ですから とてもタイムリーな警句のような気もします さて 書き手には この本はなかなか面白かったのです 紹介が多分に抽象的になってしまったのは 書き手の筆力のなさによるもので恐縮ですが 興味を持たれた方は 是非ご一読ください ブランドデザイン 初めて知りましたが なかなか面白いかも、、、
高橋医院