ジンはオランダからイギリスへ
ジンは 「錬金術的なスピリッツ」 と言われます なぜなら 穀物とジュニパーという単純な原料から 神秘的な香りの“霊薬”を造りだすから そして 「オランダ人が生み イギリス人が洗練し アメリカ人が栄光を与えた」 お酒だとも言われます なぜ そんな風に言われるのか? ジンの歴史を見てみましょう ジンの起源は 13世紀のフランドルの低地地方と 言われています この頃のヨーロッパは寒冷だったので ワインを造るブドウより 大麦 ライ麦などの穀物が良く育ち 北の寒いフランドル地方では グレーンスピリッツが造られたのです 1660年 オランダのライデン大学医学部で フランシスクス・シルヴィウスが グレーンスピリッツにジュニパーベリーを加え 解熱・利尿用薬用酒を造りました ジュネヴァ と呼ばれるジンの先祖は 薬酒として造られ 世界を航海した オランダの東インド会社の船乗りは マラリア対策用に飲み オランダ海軍では 職務中の飲酒が 公式に認められていて 毎日3回配給されました 最古の製造業者は ボルス社 今でも老舗の会社です オランダ東インド会社が スパイスルートを独占できたので 多様なボタニカルが手に入りましたが 単式蒸留器で造られていたので 雑味が多かったようです ただ 原料の大麦 ライ麦の比率は 現在のドライ・ジンより多く 単式蒸留器で造るので 原料の風味が残りやすく 味 香味は深く濃厚で重めで モルトウイスキーのような 甘い味わいがあります カクテルにせず ストレートで飲む方が美味しい 書き手も大好きで アムステルダムでは ずいぶんとお世話になりました(笑) 1689年 オランダの貴族であった オレンジ公ウィリアム(ウィリアム3世)が イングランド国王として迎えられた際に ジュネヴァはイギリスに持ち込まれ ジュネヴァがなまって ジンになりました ウィリアムはプロテスタントでしたし フランドルからロンドンに逃げたプロテスタントも ジュネヴァを広めたので ジンはプロテスタントにより 世界に広められたともいえます お堅いイメージのプロテスタントも なかなかやりますね?(笑) さて オランダからジンが持ち込まれた 18世紀のイギリスは ジン・クレイズ 狂気のジン時代 と呼ばれました この頃に起こった産業革命に前後して ロンドンなどの大都市に 労働者が流入しスラム街が形成され 低所得者の間には ジン中毒ともいえる現象が起こったのです ジンの蒸留を行い 女子供にまで飲ませるジン・ハウスが たくさんできて 貧困層は ジンで酔っぱらえば 何もかも忘れられたので 男女を問わず子供まで ビール用の大ジョッキでジンを飲んでいました この頃のジンは粗雑に作られ その雑味を隠すため 砂糖を加えた甘口のものだったので 女性や子供も飲めたのかもしれません ジンはビールより安かったので 18世紀には それまで国民酒だったビールの生産は 12%減少し 逆にジンの生産は なんと400%も増加して 世界初の近代的ドラッグ中毒が起こるに 至りました 価格が安いわりにアルコール度数が高く 「労働者の酒」「不道徳な酒」 というイメージがあり 貴族や健全な者の飲む酒ではないと 考えられていました 街中の犯罪も増え ジンは悪を生む温床と 見做されたのです 下に示す風刺画では 裕福な人々が 健康的にビールを楽しむ「ビール通り」 堕落した貧乏な労働者が 廃退的にジンをあおる「ジン横丁」 が対照的に描かれています ちなみにこの頃のジンは オールド・トム・キャットと 呼ばれていました オスネコのトム・キャットが 名前の由来ですが この頃のロンドンの酒場(ジン・ハウス)では 店先に上の写真のようなネコの装置があって 口にコインを入れると 足から甘いジンが出る仕組みでした 下の絵の 右側のネコをご覧ください 客は「プス」と合言葉を言い 店員は「ミュー」と ネコの鳴き声で返事して ジンを出したのです このネコ・システムには ちょっと興味があるかな?(笑)
高橋医院