Withコロナ社会での意思決定の困難さ
西村先生は Withコロナ社会での意思決定の困難さについて 語られます <不確実な状況での意思決定の難しさ・政治家の役割> 新型コロナウイルスに関する政策が外れたら 社会から厳しく批判されます だから意思決定者は 孤独だと腹をくくらなければならない どう転んでも恨まれる可能性は高いが そこから逃げないのが 本当の政治家ではないでしょうか 最終的には 公衆衛生だけでなく 教育 経済 社会活動のバランスを取るのは 政治家の役割なのだから 彼等は どんな決断をしても非難は免れない孤独な立場だと 腹をくくらなきゃならない 政治家の皆さ~ん よく聞いてくださいね!! 先に述べたように 専門家が確率を示すことが重要なのは 政治家が全体を適正に勘案できるようにするためで そのためには 一部の専門家の意見で突き進むのではなく さまざまな方面の識者で議論し 途中で検証するシステムが必要で その結果 ダメだったら立ち止まる勇気も大事 また 意思決定のプロセスをきちんと記録に残すことも重要で 政治家はよく「専門家の助言をもとに」とか言うけれど 議事録がないと 政府が本当に専門家の意見を聞いて 政策を実施しているか分からない 実は聞いたことにしておいて 専門家が言ってもいないことをやっているのかもしれない できるだけ多方面から 客観的に考え 検証するシステムを 作らないといけない 現在の日本で意思決定の立場にいる人たちは そういう勉強をしていないのではないかと 思えてしまう 再度 政治家の皆さ~ん よく聞いてくださいね!!(笑) <コンセンサスの作り方> コンセンサスを作る議論には 十分な数の識者の参加が必要である 一握りの専門家のアイデアで日本全体が動くのは 国民にとってリスクが大きいので 公衆衛生や狭義の領域の専門家だけでなく 一般常識で物事を考えられる識者 いわゆるリベラルアーツの素養のある人たちや 専門外でも現実を理解する常識があって 国民全体が「あの人なら」と思いを託せるような人を 議論に加えてほしい とても大事なご指摘だと思います 確かに こういうときに大切なのは リベラルアーツなのかもしれません でも そういうのは 非現実的と言われてしまうのかな? 難しいところです ここで西村先生は 過剰にゼロリスクを求める風潮に 疑問を投げかけます <ゼロリスク> こうした状況で 安全率を取るのはいいけれど どこまで取るかが問題で ゼロリスクを求めすぎると 「念のため」と対策もどんどん大きくなる しかし そのために数多くの弊害が出て 人と人の関わりが無くなったり 差別してしまったり 職を失い ウイルスでなく その対策で命を落とす社会的弱者もでてくる その危険性を 充分に認識しなければならない なぜゼロリスクを求める対策が 広がってしまったのか? 感染症対策をめぐる科学者の見解は 多様でなかなか一致しないもの だからこそ 国民に関わるリスク評価に際しては 一方の意見だけでなく 反対意見も議論しなくてはならない しかし 政府の専門家会議でのリスク評価の議論に 偏りが生じた懸念がある また メディアも 誤ったメッセージを社会に広めてしまった リスクはゼロであるべきという視点で 正義の旗を振るような報道は 控えるべきではないだろうか リスク評価を誤れば かえって社会に恐怖が広がり ゼロリスクを求める風潮につながってしまう パンデミックの対策は アクセルを踏んだら ブレーキも踏まねばならず 双方のバランスこそが重要だと思う しかし 専門家は定量的に確率を語らないし 現在の意思決定のプロセスを 途中で冷静に検証し 場合によっては止めるメカニズムが欠如している 感染リスクは環境や条件によって異なるので 一律の対策はあり得ない 一つ一つのリスク評価をする際に 異なる科学的見解も踏まえて検討するのも バランスの取り方で 危機と感じる人が多い時こそ 対策が一色にならないようにしなければいけない ゼロリスクの求め過ぎですか そんなことを 今まで一度も考えたことがなかったので びっくりしましたし勉強になりました こういう 外から冷静に見る意見は 現場で必死にもがいている人たちには 「何をきれいごと言っているんだよ!」的に 受け取られるのだと思いますが でも 多様な意見を参考にする姿勢が大事なのは 間違いありません これから長く続くであろう 厳しい試行錯誤の連続のなかで その点は忘れないようにすべきだと思います それにしても 適切に怖れることは 難しいですね(苦笑)
高橋医院