ガブリエルは ニューヨークの地下鉄の車内で
現代人は本当に自由なのか?
と問いかけます

人は本来 自由であるが
しかし同時に 人は操作され 管理されうる

人は本質的に自由であるが故に
自ら進んで奴隷を志願するパラドックスがある

しかも現代社会では
生活を便利にするテクノロジーが 人の自由や行動を縛る

AIが人を操作し
SNS マーケティング 家族 組織 テレビなどが
人を不自由にさせているのではないか?

現代人は社会の中で 本当に自由なのか?
いかにして自らを開放すればいいのか?

いやはや 現代人は
自らの欲望からも テクノロジーの呪縛からも
解放されなければいけなくて いろいろと大変ですね(笑)

<Geistが人の主体性と現実をつなぐ>

ここで ショーペンハウアーの話が始まります

ショーペンハウアーは 自由意志のパラドックスを発見しました

人は
欲求を満たすことはできるが
欲求を欲することはできない

人は何かを欲しても
なぜ それらを欲するようになったかを決めたわけではない
その人の意志ではない

これが 決定論です

欲求は降りてくるもので そこには自由意志は存在しない

あらゆる出来事は
はるか昔に始まった出来事の必然的な結果にすぎず
あらかじめ決まっていて
ものごとは 必然的に起こるべくして起こる

あらゆる事象は 理由なしでは生じえない
という伝統的な哲学原理です

そして ドイツ哲学における主要な概念である
「Geist」が紹介されます

日本語でいうと 精神 のニュアンスのようです

人が現実の一部であることを意味する
自己決定の礎

Geistの考え方からすると
ショーペンハウアーは
主体と客体に切り分ける という間違いを犯した

そうではなく 客体も現実の一部である

主体と客体が分裂している 差異化しているというのは
精神と世界は分離しているとする考え方で
物理学的思考の基本をなす世界観であり
これこそがアメリカの世界観である

と指摘します

あ この部分は わかるというか 共感できる気がします

そうではなくて
自分自身も現実の一部であるという認識から 全ては始まる

だから
自然法則や 圧倒的な力を持つ社会システムといった
決定論的な現実を前に 人が無力感を感じたとしても
そこには自由意志はある

Geistが 人の主体性と現実をつなぐ

うーん ここは難しい、、、(苦笑)

でも ガブリエルは 楽しそうに語り続けます

<人はどのようにして自分自身を疎外してきたか>

今は 多くの人は自分が現実の一部でないと考えていて
これが現代の真の問題である

人はなぜか
自分ではないものに同一性を見出す傾向があるので
問題がさらに難しくなる

人は 神 AI 超知能 決定因子といった
自分を超越した 自分より大きい何かと同一化し 共感する

そうすると 人のリアリティは存在しなくなる

人は 自分より大きな存在の神やGAFAに
見下されている存在にすぎなくなり 人間性が破壊される

他方で人は 進化論的に
人が行うことは 自由意志の行使も含め
基本的には動物的欲望の表現以外の何物でもない
と考える傾向がある

こうしたことを やめなければならない
人は 神でなく AIでなく ただ人間である
人がすることは 単なる進化の産物ではない
全て人間の自由の結果である
高橋医院