初めてをナマで観たとき
囃子方や地謡方の迫力に
度肝を抜かれたことは 
お話ししましたが

何回か観ていると 
ストーリー展開のパターンが
つかめてきます

簡単に説明すると

まずワキが登場して 
物語の背景 
シテの素性などについて語り

語るワキ


ついでシテが登場して 
思いのたけを語る

ワキに思いのたけを語るシテ

既にご説明したように

シテの多くは 神 鬼 亡霊などで
この世に未練をもっているため 
その思いはなかなか濃いです

たたずむシテ

そしてシテは 
語るだけでは満足できず 
舞い始めます

舞うシテ

この舞いが 
お能鑑賞の大きなポイントのひとつだと思います

舞は能の華 
少なくとも素人目にはそう感じます

シテがワキに対し 
自らの素性や物語の背景を語る前半部は
彼等が語るのが由緒正しい日本語なので 
往々にしてついて行けず

しかも 
シテもワキも舞台の上で微動だにせず 
淡々と時間が流れるので
ついつい舟を漕いでしまいます(苦笑)

でも お話の後半 
シテが自らの想いを込めて舞いはじめる頃は
ちょうど心地よい眠りから目覚めたあとで
妙に頭もリフレッシュされているためか

集中して舞に見入ることができます(再苦笑)

舞の特徴は 

眼を使うな 
手を使うな 
足はときどき使え 

だそうで

バレエや芝居などの 
これまで観てきた舞台パフォーマンスでは
考えられない表現方式です

舞うシテ2

通常 多くのダンスやパフォーマンスでは
眼の周りに華美な化粧を施して 
表情がより際立つようにしたり

体幹をくねらせたり
手先や指先を特徴的に過剰に動かしたり
 脚を高く跳ねあげたり

そうした所作により 
感情を表現することが多いですが

能では 
面(ツラ )をかぶっているので 
全く表情は読めない

常に中腰 
やや前傾の姿勢なので 
身体全体の動きが非常に乏しい

そして何より印象的なのが

手元 指先が
装束の袖の中に隠されているため 
手や指先の表情も読めない

舞うシテ3

舞台の四分の一ほどの狭い空間で
ゆっくりと 大きく 
単調な所作を繰り返し

ときおり 
お囃子の音色やリズムに合わせて

装束の袖を大きく翻させたり
足で音を立てて強く舞台を踏んだりするのが

唯一 動きが目立つ所作です

装束の袖を大きく翻させるシテ

そして 
足の運びは常に摺り足で
膝が上下することはほとんどありません

このような 
これまで観たことがない動きで
主人公の 悲しみ せつなさ 怨念 
そうした深い情動を表現します

深い情動を表現するシテ

顔も 手も 指先も 体幹も
全てが無表情で動きが乏しいにもかかわらず

不思議なことに これが何故か 
観ているうちに引き込まれるのですよ(笑)

逆に これだけ表情や動きを消しているので

いったい何を表現しているのだろう 
何を表現したいのだろうと
観る者をして 考えさせる 想像させる

能の舞いには 
そうした効果もあるのかもしれません

無駄な表現をしないことで 
かえって存分に情念を表現する

これこそが お能の哲学やコンセプトかなと
終盤の舞いを観ながら思います

能を観る経験を何回か重ねていくと

多くの演目で 
物語の進行パターンが
似通っていることに気付き
舞いの仕草も
似通っているように感じるのですが

扇をかざすシテ

でも見飽きないというか 
半年に一度くらいはまた観たくなる

不思議なものです(笑)
高橋医院