「女」を使うのは いけないことか?
今日は勤労感謝の日でお休みですが 書き手は中央区の休日診療所のお手伝いで まさに「勤労」です(笑) さて ヒラリー女史の大統領選出馬宣言以来 女性と権力に関する記事やコラムが 増えてきたように思います 「似非フェミニスト」は この手の話題には何気に興味があります(笑) 以前 ニューズウィークに掲載されていた マーガレット・サッチャーは 偉大な指導者であり続けるために 「女としての強み」を巧妙に使っていた という趣旨の 長きにわたりサッチャーを取材していた アメリカ人記者が書いた記事は面白かった 記者の観察 実体験によると 彼女は「鉄の女」だったかもしれないが 母性本能を発揮して人を喜ばせる方法を 忘れていなかったそうです 彼女が生まれ育った時代は今とは違い 男女平等は絵に描いた餅で だからこそ彼女は 自分が進みたい道に立ちはだかる男に 取り入ったり 彼等を誘惑したりすることを 悪いことだと思っていなかった むしろ彼女は 自らの野望を達成するための強力な武器として 女であることをためらわずに利用した それは 記事を書いた男性記者が見ていて 気持良いものではなかったが 彼女は英国紳士が レディーの要求を拒否できないことを逆手にとって 自らの主張を実現させた というのです うーん なるほどな という気はします 確か彼女は 閣議は彼女の意思を伝達する場であって 議論をする場ではない といったことを公言していましたね 多くの人々が漠然と善きものと感じている 民主主義に潜む”弱さ”を 見事に看破していたようにも思います その姿勢に賛同するかどうかは 別問題として インパクトがあることは認めざるを得ません(笑) そんな男もびっくりの 強引な考え方と強い意志を持った方ですから 自分の野望のために自らの性を利用するのは ある意味で至極当然かもしれないと 素直に思えます(再笑) 彼女からしたら そんなこと どうしてわざわざ言及するの? という感じでしょうか(笑) もっと面白いのが サッチャーは 「フェミニズムが私に何かしてくれたことはある?」 と言い放ち 男女平等を訴える女性たちを ほとんど相手にせず 女性活動家が女性の参政権を得るために 命懸けで戦ってきた歴史にも 全く興味を示さなかったそうで まあ 彼女ならそうなのかな という気もします 確かに フェミニズムというものは何気に難しいと 似非フェミニストは思うわけです(苦笑) サッチャーが率いた国は エリザベス1世とビクトリア女王が統治した国だから というコメントも笑えました そんな古き良き(?:笑)時代と異なり 現代世界で政治のトップを狙う女性たちにとって サッチャー的な処世術は 反面教師以外の何物でもなく 彼女たちに求められるのは 女性らしさを表に出さない 男女の違いを利用しているように見られないこと だそうで 時代の変化は 面白いですね! 最近の女性政治家を代表するような存在の メルケルさんなんて まさにそういう気がしますが どうなのかな? ちなみに 最近読んだ本では 彼女のことが興味深く書かれていたので そのうちにネタにします(笑) それと このコンテクストだと 最近のトレンドは アウンサンスーチーさんですね 長年苦労されながらも 志を貫かれ続けたことは立派だと思いますが 「大統領を越える存在になる」 と豪語されて(?)いるようで どうなっちゃうのかな という不安も感じます、、、 さて サッチャー時代の魅惑の手だった 「女性らしさ頼み」は 既に過去のものとなったようで 最近は男性政治家も 女性の支持を得るためには 男らしさをそぎ落とさないといけないそうです なるほどー 草食系の時代ですからね? プーチンさんは珍しい例外なのか? それとも ロシアという国が例外なのか?(笑) で この手のネタは オチが難しいのですが なにか希望を成し遂げるために「女」を使うのは いけないことでしょうか? 確かにサッチャーのように あからさまに意図的に使うのは ちょっと辟易しますが でも個人的には もっと巧妙にさらりと使うのは ありでもいいかなとも思います こんなことを書くと 多方面から非難が来そうですが(苦笑) そういうことを 無意識にできる方もおられるのですよね しかもTPOというか 効果的に使える場面を実によく熟知している ああいうのは 天性なのかな? うちのローズなんて すごいですよ! 意識して使っているようでは まだまだ修行が足りないんじゃない? と彼女は申されています?(笑) やはり 気に恐ろしきは?(苦笑) いやはや 祝日とはいえ 週の始めから 似非フェミニストのバイアスのかかったブログ 失礼しました 読んで気分を害された方がおられたら 書き手の不徳の致すところで お許しください
高橋医院