古くからの友人の
伊藤めぐみさんのピアノリサイタルに行きました

伊藤さんは 
東京芸大ピアノ科を卒業されてから

生来のショパン好きが高じて 
ショパンの母国ポーランドの
国立ワルシャワ・ショパン音楽院に留学され
卒業後は 数々の国際コンクールで入賞されてきました

マズルカやポロネーズなど
民族音楽独自のリズムと
ショパンの「熱い心」を表現できる数少ない演奏家との評価を
国内外で確立されています

毎年定期的にリサイタルをされていて
これまでのリサイタルでは
まさにショパンのマズルカやポロネーズを
満喫させていただきました

ショパン

糖尿病専門医さんが
無類のショパン好きで
個人的なご縁もありましたので
伊藤さんご夫婦とお食事を共にしたこともあります

まだ共産圏の東欧だった時代に
留学されたワルシャワのお話

冬でもなかなかお湯が出ない
厳しい環境だったことや

ショパン以外の作曲家の曲を練習していると
ポーランド人ならではの 
ショパン贔屓の下宿のおじさんに
 
どうしてショパンを弾かないんだ!
と苦言されたことなど

色々と面白いお話をうかがうことができました


さて 今回のリサイタルのテーマは 
ドラマテイック・バッハ

リサイタルのチケット

彼女のリサイタルのお楽しみは 
ピアノの演奏だけでなく

プログラムに記された
彼女直筆のウイットに富み
かつロジカルなモノローグや
1曲ごとに彼女自身の口から語られる短い解説で
クラシック音楽の勉強が足りない書き手は
それらを毎回楽しみにしています

今回のプログラムには 
こんなことが書かれていました

バッハの楽譜はすっきりとしていて
パズルのように整然とはめ込まれた
複数のメロディーとモチーフを
解読していく作業は面白かったが

あまりにすっきりしすぎており 
指使い 強弱 ダンパーペダル 表現に関する指示がなく
それらをどう表現するかに悩んだ

確かにバッハの時代にはオルガンが主流で 
まだピアノはなかったので
彼はそうした指示を出すことが
できなかったのでしょうが

そうか
ピアニストはバッハの作品に挑むとき 
そうした苦悩をされるのかと

バッハの胸像

幼い頃に 日々の鍛錬が苦手で
早々にピアノからも先生からも見放された書き手は
なるほどー と思うのですよ(苦笑)

伊藤さんは こう綴り続けます

330年の年月を経て現代に伝わるバッハは 
全ての楽器で演奏可能であり
あらゆる音楽ジャンルでのアレンジが許される
懐の広さを持つ一方で
演奏者を丸裸にしてしまう怖さがある

再度 なるほど~ です

書き手はバッハの音楽が醸し出す
崇高かつちょっと甘美な世界を
心地よく聴き入りますが

演奏家は そんなことを感じながら 
バッハと語らっているのですね

リサイタルは
演奏される1曲1曲の作品の編曲にまつわる
エピソードの説明も交えながら
進行していきました

こういう進行形式は
彼女のリサイタルならではのものですが
とても勉強になるので 
書き手は楽しくてとても気に入っています

不勉強の書き手は知りませんでしたが

バッハの作品は
実に多くの音楽家によって編曲されており 
そこには編曲者の個性による表現が
付け加えられるため 
奥深いものになるとか

確かに
演奏されたラフマニノフの編曲による
無伴奏ヴァイオリンのソナタとパルティータでは
旋律のメリハリがとてもはっきりしていて 
ラフマニノフらしさを感じました

ピアノを弾くラフマニノフ

ヴァイオリンのために書かれた曲を
ピアノ用に編曲するのも面白いし
そこに編曲者の個性が加わると 
さらに意外な世界でちょっと予想外で
バッハの作品のイメージが
変わったような気がしました

なるほど 編曲の世界は奥が深そうです

最後の曲は 
リストが編曲した
プレリュードとフーガ イ短調

伊藤さんが語るには

リストは 
パガニーニのラ・カンパネッラをはじめとして
色々な作曲家の曲を 
あたかも自分の曲のように編曲してしまうので

譜面を読む前は 
バッハらしさがなくなっているのでは
と危惧されていたそうですが

意外に原譜に忠実で 逆に驚いたとか

リストはバッハを
かなりリスペクトしていたのかもしれません
と言われていました

リスト

確かに
超絶技巧のリストを感じさせることがない
とてもオーソドックスな編曲で
天邪鬼な書き手としては 
ちょっと期待はずれだったかも?(苦笑)

最後のアンコールはお約束のショパンで
リサイタルは万雷の拍手の中 
お開きとなりました

五線譜と鍵盤のイラスト

そうか 編曲か、、、

世の中には 
まだまだ勉強しないといけないことが 
沢山ありますね(笑)
高橋医院