懐かしい

書き手はこの映画を
中学生の頃に見て
かなり夢中になりました

映画「太陽がいっぱい」のポスター

それ以降 
何回見ていることでしょう(笑)

この映画で俳優としてデビューした
アラン・ドロンが
昨年 60年間の俳優生活に別れを告げ 
81歳で引退を発表したそうです

引退を発表したアラン・ドロン

この機会に
NHKが日本のメデイアとしては
初めて単独インタビューを行い
その様子が先日放送されていました

NHKのインタビュー番組の宣伝

書き手は中学生の頃は
アラン・ドロンの
ファンだったのですよ

だから 結構期待して
番組を見てしまいました(笑)


彼は 美男の代名詞と呼ばれ
まさに正統派二枚目スターとして
映画界に君臨していました

若い頃のドロン

陰のある美貌が大人気でしたが
その一方で
隠せない野望が人相に出ている
とも言われていました

ですから 
色気がある 男でも惚れる 
という声の裏で
悪役が合っているとも評されます

ある映画評論家さんは
野心 出世欲をあからさまに前面に出し
それを武器にのし上がった
それまでの俳優になかったタイプ

波乱の中で
自分の手で成功をつかみ取り
生きていく姿勢が強烈だった

と 彼のことを評しています

若い頃のドロン

書き手が彼のことが気になった理由も
そうした影の部分というか
決して品行方正ではないところに
魅かれたのだと思います

学校で良い子を演じていた
書き手の裏の部分でした?(笑)


誰かが 
ドロンの眼差しは
品がなく野心的だが
引きこまれてしまう
と語っていましたが
まさに言い得て妙です!


デビュー作の太陽がいっぱいで
相手女優のマリー・ラフォレを見つめる眼差しは
まさにそんな危険なものでした

マリー・ラフォレを見つめる眼差し

ちなみに
書き手はマリー・ラフォレも
大好きでした

マリー・ラフォレ1
マリー・ラフォレ2

映画の中で
彼女が大学の卒論のテーマに
ルネサンスの画家のフラ・アンジェリコを
選んでいた設定に

フラ・アンジェリコを
好きだった書き手は
とてもシンパシーを感じたものです(笑)

フラ・アンジェリコの絵画


で 閑話休題で

アランの最後の作品の監督さんは

彼は俳優としてもひとりの男としても
複雑な人間だが

自分に対して常に完璧を求める
自分への要求が高く 
常に自分に闘いを挑み 
決して手を抜かない

俳優としては
仕事を熟知していて厳格で
映画界のストラデイバリウスのようだ

と評していました

プロだったのですね


彼は 1935年11月8日
パリの南のソーという町で生まれました

父は小さな映画館の経営者
母は女優を志したこともある女性でしたが
彼が4歳のときに両親が離婚

その後両親とも再婚したので 
アランは行き場がなく里子に出されました

成績はよくスポーツもできた子供でしたが
素行が悪くて
学校を転々とすることになります

そして 
家族から自由になりたいと思い
自分が何者かとも考えるようになり
そんな環境から逃げるように
16歳でインドシナ戦争に
志願兵として従軍します

彼は軍隊での4年間で 
規律 命令に従うこと
現代フランスで失われた人を敬う心 
を学ぶことが出来たそうで

軍隊での生活がなければ今の自分はない
と述懐します


インドシナ戦争が終戦し 
20歳でパリに戻り
気ままな一人暮らしを始めます

市場で働きながら
夜な夜な遊びまくる
目的のない日々

ハンサムなので
女性にモテまくったそうで
色々な女性から愛されたことが自分を造った
と語ります

羨ましいですねぇ(笑)

若い頃のドロン


ある夜
盛り場で出会った
女優のブリジット・オベールに
俳優になることを勧められます

そして 
1957年に21歳でスクリーンデビュー

彼は 俳優になって
自分が女好きだと自覚したそうです

そして
愛してくれる女性の瞳にいちばん美しく映りたい
と思い
それが俳優としての原点だったそうです

うーん なんだか スゴイ!

若い頃のドロン

ちょっと動機が不純というか
破天荒な気がしないでもないですが
でも 逆にそういうところが
彼らしいのかな?


カメラの前に立つと 
水を得た魚のように感じ
演技を初めて体験したその瞬間に
俳優が天職だと思ったそうです

そして あくまで自然体で
普段の自分のままに演じたそうです

これもまた スゴイですね
彼は単なる二枚目では
なかったのでしょう


ただ 
自分が好きなことをやっていただけで
自分がこんな大スターになるなんて
デビューのときは思わなかった

それがこんなに長く続けて
大スターでいられて
ビックリしている

彼は若かったころを懐かしむように
そう語るのですよ
高橋医院