タイトルは
書き手のことではありませんよ!(笑)

グスタフ・クリムト

ネコを抱くクリムト

書き手と同じように
ネコと女性が大好きなオジサンでした

お酒も好きだったのかな?(笑)


今年 クリムト関連の展覧会が
東京都美術館と

東京都美術館のクリムト展の看板

新国立美術館で

新国立美術館のクリムト展の看板

ほぼ同時期に開催されました


クリムト

すごく好きというわけではありませんが
展覧会をやっているなら 
やはり観ておこうかな

書き手にとってクリムトは そんな存在です

これらの展覧会は
今年 東京で開催された企画展の中で
いちばん面白かったかもしれません

クリムトは現存している作品が少なく
油絵は全部で200点あるかないかだそうで
そのうちの30点余りを集めたこの企画展は
久々の大々的な催しだそうです

19世紀末のウイーン

19世紀末のウイーンの街並み

新たな都市が形作られた
ハプスブルグ帝国の黄昏の時代に
花開いた多様性のある総合芸術運動

建築は オットー・ワーグナー
音楽は マーラー シェーンベルク

工房で作られた
趣向を凝らしたデザインの工芸品や調度品

精神分析のフロイトや
哲学のヴィトゲンシュタインも
そんな文化を裏で支えます

19世紀末のウイーンのカフェ文化の光景

そして 絵画の主役は
分離派の創設者でもあるクリムトでした

まさに 芸術は時代を映しだすものです

クリムトというと
官能的できらびやかな作品を
すぐに思い浮かべますが

画家としてスタートした頃は
とても“まともな”画風だったようです

14歳からウイーン工芸美術学校で基礎を学び
古典的・伝統的な画風の 
腕の良い画家として若い頃から活躍し

卒業後すぐに
ブルグ劇場の天井画 
美術史美術館の壁画などの製作を依頼され
それぞれ高い評価を受け
20代で金十字勲章をもらうほどでした

その頃に描かれたという
後に生涯のパートナーとなるエミーリエ・フレーゲの
17歳の頃の肖像画

エミーリエ・フレーゲの17歳の頃の肖像画

穏やかで優しい筆遣いです

10年あまりの年を経て 
エミーリエが28歳になると
こんなふうに変身します

エミーリエ・フレーゲの28歳の肖像画


彼女が成長しただけでなく
クリムトの画風も大きく変化したのです

まさに19世紀末 クリムトが30代半ばの頃
彼はウイーンの画壇に別れを告げ
新たな分離派グループを作りました


当時のウイーン画壇は 伝統と格式を重んじ
過去のさまざまな様式を模倣し換骨堕胎した
「ネオ様式」が全盛でしたが
クリムトは そんな画壇に反旗を翻したのです

美術市場から独立した展覧会の企画 反商業主義
諸外国の芸術家たちとの交流などを目的とし

時代には時代の芸術を
芸術にはその自由を
と主張しました

クリムトと分離派の芸術家たち


どうしてクリムトは
既に成功を収めていた画壇での地位を投げ捨て
分離派を作ったのでしょう?

彼は 
発注主のリクエストに追従して絵を描くことに飽きて
もっと自由に表現したい
自分が変わりたい
自身の芸術的な創造性を 赴くままに表現したい
と思ったのではないかと推察されています

また ちょうどその頃に 父や弟が相次いで他界し
母と姉は精神病に苦しむという家庭状況も
彼の決断を大きく後押ししたのではないかと
考えられています

書き手は
クリムトの若い頃の“優等生的”な画風は
それはそれで美しいと思いますし
なんとなく観ていて安心できる気もします

でも 確かにインパクトには欠ける

そしてクリムトの画風は
とてもインパクトがあるものに変化していきます
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