死への畏れと敬意
今こそ哲学の時代ではないのか? と問われた國分さんは イタリアの哲学者 ジョルジョ・アガンベンさんを紹介され とても興味深いお話をされます @死への敬意 畏れ アガンベンさんは コロナの大流行で悲惨な状況の 真っただ中のイタリアで 敢えて 「病のもたらす倫理的 政治的帰結を 問わなければならない」 と語られたそうです いかにも哲学者です! そして 今回のパニックは 現代社会が「むき出しの生」以外の なにものも信じていないことを明らかにした 亡くなった方にも会えず 葬儀もできないのはおかしい 死者の権利が蹂躙されている 人々がこのことに疑問を持たなくなったら 社会はどうなってしまうのか? 生存以外のいかなる価値も認めない社会とは いったいどんな社会なのだろう? と 社会に問いかけられたとか むき出しの生 そして 死者の権利の蹂躙 ですか かなり過激な表現をされますし 死者の権利の蹂躙なんて 考えたこともなかったけれど でも 言わんとすることはわかる気もします 前回 指摘されたように 人の死が統計学的に処理される数値の一部として 取り扱われたり 親族が臨終に立ち会えないのは 尋常なことではありません @移動の自由の大切さ そして 移動制限について話が展開されます アガンベンさんは 移動制限は 戦時中でも行われなかった 移動の自由は 人間にとって最も大切で守られるべきもの と語られたそうです 國分さんは 刑罰はすべからく 移動の自由の制限であり 東欧の人たちは あの革命で移動の自由を求めていた ドイツのメルケル首相は コロナの非常事態宣言の演説で 移動の自由は民主主義にとって とても大切なものだが 今は命を救うためにそれを禁じざるを得ない と語ったが 旧東ドイツ出身だけあって 移動の自由が禁止されることの重大さを よくわかっている と意見を述べられます 移動の自由の大切さ これも今まで認識したことがありませんでした さらにアガンベンさんは 緊急事態を口実にして 行政機関がさまざまなルールを作り 立法府がないがしろにされたら 民主主義の危機である とも語られたそうです 國分さんは 彼は 社会が 死者への敬意のなさ 移動の自由の制限などに 何も感じなくなったらマズいと警鐘を鳴らした これまでの社会が大切にしてきたことを 守っていかなければならない とまとめられました このパートで 書き手がいちばん印象に残ったのは やはり 死への敬意というお話でしょうか 感染対策上 致し方ないこととはいえ 亡くなった方と最後のお別れができないとは とても切ないことです
それが習慣化することで すぐに死への敬意や畏れがない社会になるとは 思いませんが そのような視点で 今の世界を見ている人がいるというのは とても勉強になりました
高橋医院