それにしても
どうしてイタリアの巨匠 
マエストロ ムーティ

名門とは言え
アメリカのフィルハーモニーの
常任指揮者になったのでしょう?

ミラノ・スカラ座の音楽監督を
20年も務められ
ウイーンやベルリンなどの
ヨーロッパの名門フィルとのコネも強いのに

なぜにシカゴフィルなの?

俗っぽい書き手は 
ふとそんな疑問を持ってしまいます(苦笑)

個人的には 
シカゴは好きな街のひとつですが

でも ミシガン湖越しの
シカゴの高層ビル群を背景に立つ
マエストロの姿は
なんとなくぴんと来ないのですよ(笑)

ミシガン湖越しのシカゴの高層ビル群を背景に立つマエストロの姿


でも そんな疑問の答えが 
プログラムに書かれていました

そもそも最初に恋心を抱いたのは
2007年 シカゴフィルの方だったそうです

シカゴのメンバー達は 
マエストロと協演してすぐに
自分たちが求める音楽監督を
はっきりと意識するようになったそうです

そして多くのメンバーが
マエストロにラブレターを書いたとか

シカゴフィルを指揮するムーテイの姿

どうしてそのようになったか 
具体的には記されていませんが

マエストロの指揮のもとで演奏しているうちに
彼が自分たちの更なる成長に貢献してくれると
確信したのでしょう


一方 
マエストロの方はというと

最初はシカゴの演奏に
力強さと精密さは感じていたようですが
それほど魅せられたわけでは
なかったようです

指揮するムーテイの姿

しかし 何回か
ヨーロッパ・ツアーをともにするうちに
その可能性に気が付いて 
徐々に気持ちが動いたそうです

思索するムーテイの姿

「私はフェラーリ好きのイタリア人だが 
 シカゴはフェラーリかもしれない」

そしてマエストロは
「私の芸術人生の最後の仕事」として 
シカゴと契約を結びました

シカゴの街に立つムーテイ

マエストロは
アメリカが誇る
この深い重厚な音を奏でるシンフォニーの演奏に
繊細さ 和らぎ 丸みを与え
“歌う”オーケストラに
育てあげていったそうです

アメリカ的精密さを失うことなく
ヨーロッパ的な豊かさと柔らかさを持つように

ムーテイ指揮のシカゴ交響楽団のコンサートのポスター

そして今や 
マエストロとシカゴフィルの関係は
確固とした相思相愛の特別なものに
なっているそうです

うーん このあたりは 
わかるようで わからないようで
奥が深いお話です

指揮するムーテイの姿

でも 
マエストロが語るこんな言葉は
ヒントをくれるような気がします

カンタ 歌うということは
心からだけではなく 
腹から 感情と旋律を表現することです

弦のヴィブラートは
指からでなく 
身体の内奥から発せられるべき
ものなのです

そして歌うことは 
愛することができる者の行いなのです


実際にマエストロの指導を受けられた
シカゴフィルの
現役日本人ヴァイオリニストさんも

彼が「心から歌う」ことを強調され
それによりシカゴの弦が
ずいぶん暖かくまろやかに変わった
と語られています

インタビューに答えるシカゴフィルの日本人ヴァイオリニスト

うーん そんなものなのですねえ

ただ楽器を弾くのではなく 歌うのか

ホントに奥が深いなあ、、、

無粋な書き手は 
音楽や芸術に興味はとてもありますが
残念なことに
実際に自分で手を動かすことはありません

ですから オケのメンバーが
「弾くのではなく歌え」
とマエストロに言われたときに
どんな気持ちを抱いたか
想像できないのですが

アーティストとしての演奏家の一面を
掘り起こされたような感じなのかな?


マエストロは
シカゴフィルのHPのインタビューで
こんなことも語られています

ヴェルデイが描くレクイエムの世界では
神に祈るのではなく 平和を求めるのだ

ムーテイが書いたヴェルデイに関する本の表紙

単にメロデイを
奏でているだけではダメで
情熱を持って彼が意図したものを
表現しなければならない

そして しかし 
そこには答えはない


マエストロは 
こんな風にも語っています

世界はあまりにも速く過ぎていく


こういうお話は
嫌いじゃないのですよ(苦笑)
高橋医院