フォーレのレクイエム
ヴェルデイのレクイエムの話をしましたが 世界の三大レクイエム と言われているのが モーツアルト ヴェルデイ そして フォーレ 個人的には 品があるのでフォーレが好きですが らららクラシックで そのフォーレのレクイエムの特集をしていました フォーレのレクイエムは 「掟破り」だそうです というのも レクイエムではお約束の 「怒りの日」が強調されていない 管楽器と打楽器が 高らかに恐ろしいメロディーを奏でる あのパートですね 19世紀のカトリック教会にとって 葬送曲であるレクイエムで 怒りの日をしっかりと表現することは 必須で第一義的なことだったそうです キリスト教の重要な教義に 「最後の審判」があり 人は死後にキリストによって その人の生前の行いにより 天国に行けるか地獄に落ちるか 振り分けられます 怒りの日は この最後の審判の模様を表現したもので 葬儀のときに レクイエムで 地獄の恐怖を強調することにより 信者に現世をしっかり生きさせるように しむけることが カトリック教会の望みでした だからモーツアルトもヴェルデイも おどろおろどろしい怒りの日を レクイエムの主たるパートとしました しかしフォーレは 死は苦しみではなく 永遠の至福と喜びに満ちた開放感に 他ならないのではないか? と考え 従来のレクイエムにおける 死の恐怖の過度の強調に 違和感を持っていたそうです そして 両親の死をきっかけに 怒りの日が強調されない 優しく美しい 自分の心のこもった理想とする レクイエムを作りました カトリック教会は そんなフォーレのレクイエムに激怒し 地獄の恐怖のないレクイエムは 葬儀の曲としてふさわしくないと 教会での葬儀での演奏を禁じたそうです そんな ある種の反逆者的な面を持つフォーレは 控えめで謙虚な性格だったそうです 彼が学んだパリの音楽学校の 教官だった サン・サーンスは 「芸術家の資質のひとつである 野心に欠けている」 と評したそうです なるほど 芸術家には 野心が必要なのですね!(笑) フォーレは 社会的な成功や出世に頓着せず 自分が満足のいく曲を作ろうとしたそうで そのために 出世を願うパトロンも婚約者も失いましたが そんなことは全く後悔しなかったそうです 自ら進むべき道を自分で決める 純粋に真直ぐに頑固に芸術を追求する そうした生き方を貫くことにより はからずも権威に抵抗することに なったそうです ホントに純粋な音楽家だったのですね 彼の音楽は先見性に満ちていた という指摘があります 19世紀末は ワーグナー マーラーなどの ドイツ音楽が主流で それは 複雑にごちゃごちゃに和音を多用し 大きく派手に音を積み重ねるものでした それに対して フォーレの音楽は 「引き算の音楽」で 最少の音で最大の効果を上げようとしました 彼の音楽は フランス近代音楽の基礎となり その後 ドビュッシーやラベルにつながっていきました なるほどです! 書き手は ワーグナーやマーラーの壮大な音楽も好きだし ドビュッシーやラベルの フランス近代音楽も好きですが どちらかと言われれば フランス近代音楽の方が好きかな でも その基礎をフォーレが作っていたとは 知りませんでした また フォーレのレクイエムには 現代音楽につながる要素も見られるそうです たとえば モダンジャズにつながるような シンプルな和音の構成がみられ 確かに曲の中の和音だけをつなげると クラブで落ち着いたモダンジャズを 聴いているようです また 短い同じ音質を繰り返していく ミニマル・ミュージック的なところもある 同じ音を繰り返し 微妙に変えながら続けることで 陶酔感を生み出していると 音楽評論家の方は解釈されていました 書き手も学生の頃に ミニマル・ミュージックに はまったことがありますが 19世紀末に 20世紀中盤の現代音楽につながるものを 作っていた? そんなことを指摘されると ちょっとビックリしますね!(笑) で 陶酔感からつながって 聴いていると 上に向って円を描きながら 徐々に浮遊していくかのようで 東洋的 仏教的な極楽浄土的なものすら感じる 基本はグレゴリオ聖歌でありながら ヨーロッパ音楽を飛び越えた幅の広さがある とまで言われていました 確かにフォーレのレクイエムは モーツァルトやヴェルデイのそれとは 受ける印象が全く異なりますし 聴いていて心安らかになる気がします そんな風に感じるのは 評論家さんが指摘されていたような 文化を越えて人の心情に響くものが 内包されているからでしょうか? フォーレ これまであまり気にかけたことは ありませんでしたが 5月の連休の ラ・フォル・ジュルネでも 彼の音楽の素晴らしさに感動しました ちょっと勉強してみようかな、、、
高橋医院