哲学者はポストヒューマンをどう見ているか?
哲学者たちは こうしたポストヒューマンは状況を どう考えているのでしょう? 「言葉と物」を著し (書き手も学生時代に齧りました 懐かしい!) 構造主義 現象学の旗頭だったフランスのフーコーは バイオテクノロジーは 今までの人間概念を根底から変えてしまう と述べました カントが生み出した近代の人間 人間を出発点に据えて そこからあらゆる実在的領域を認識する 経験的=超越論的二重体 こうした人間概念により近代が始まり 人間諸科学が形成され 人間中心の時代である近代が謳歌されましたが バイオテクノロジーの発展により 概念としての 人間の終わり 人間の超克が生まれ それが思想でなく現実として現れてきた と俯瞰します また ドイツのペーター・スローターダイクは 人間を遺伝子操作できる現代は ポスト人間主義的時代である 近代以降のヒューマニズム 人文主義=人間主義が 現代において終焉しつつあり 近代を支配した 書物の時代と人間の時代が 今や終わり始めている と述べています 歴史的な潮流は *ルネサンス : 書物・文献研究の人文主義 神から人間中心への人間主義 *近代 : 人間の時代 *現代 : IT革命によるポスト人文主義 バイオテクノロジー革命によるポスト人間主義 と流れています そんな現代に生きる私たちは 今という時代が大きな価値観の変換期であることを 認識する必要がありそうです このように バイオテクノロジーの進歩により 従来の価値観が問われています 著者の岡本さんは 自然に作られたものと 技術的に作られたものは異なるという アリストテレス以来の 直観的で自明の対立項が バイオテクノロジーにより混乱化してきている と指摘されます 技術が人間に向かい始めた 自然を変える技術だったものが 人間の本性を変え得るようになり始めた 岡本さんは こうした状況 流れについて 賛成するにせよ反対するにせよ そうした現実はしっかり見ておく必要がある 将来起こるかもしれない問題を 今の時点で不安視し その研究に歯止めをかけることは 賢明とは言えないのではないか と意見を述べられます 書き手は 医療という バイオテクノロジーが大きく関与する分野で生きていて ゲノム編集にも クローン人間にも 老化研究といった話題にも 抵抗感なく接してきましたが でも 岡本さんがサジェストされるような 個々の問題についての 自分なりの明確な良し悪しの判断は出来ていません ただ 受精卵のゲノム編集 クローン人間 いずれについても どちらかというと否定的なスタンスかもしれません どうしてそのように思うのか? そこを明確に説明できないのが 自分でももどかしいのですが なんとなく 自然じゃないからなあと 本当に稚拙な言葉で恥ずかしいのですが そんな風に思っています これからも考えていこうと思いますが 余計なお世話とは思いますが 読み手の皆さんも こうした問題に対するご自分のスタンスを 一度考えてみられてはいかがでしょう?
高橋医院