岡本さんの哲学の本を紹介したので
書き手が若い頃に憧れていた
哲学について紹介しようと思います



<常識を疑う学問>

哲学は常識を疑う学問」とよく言われます

通常の概念を批判し 検討し 根拠づける

通常では疑わないような前提条件も 必ず疑う

はたしてそれは本当かと 
あらゆることを必ず敢えて問い直す



人がほとんど疑わないような事柄を平気で疑う
普段は絶対に疑わないようなことでさえ
疑い 問いかけ続ける

まず相手の知識 自分の知識を
問い直すことから始まる

考え方自身を根本的に検討して 
本当に正しいのか問い直す

そうした営みにより 新たな知識の可能性を見出す

なんだか 面倒くさそうな代物ですね(笑)


<哲学者は 概念・コンセプトを創造する人>

哲学を生業とする哲学者は
さまざまな概念を着想し 
そこから新しいものの見方を提唱します



普通とは異なる視点を持ち
自分が提唱した新たな概念を徹底化することにより
新たな改革を生み出す

新たなものの見方で全てを見るという徹底性を貫く

疑問が生じたら 徹底的に考え抜く

あらゆる分野に介入して議論する
特定の検討対象があるわけではなく 
基本的には限定がない

うーん 生業としての哲学は
楽しいのか 苦しいのか 
よくわかりませんね(苦笑)


<哲学はさまざまな学問のコミュニュケーター>

哲学の起源は 
ギリシャ時代と言われていますが
その当時は 
あらゆる学問を修めることが哲学でした

学問の全体を学ぶこと

さまざまな学問の連関 コミュニュケーションを図る学問
それぞれの学問の繋がりを理解すること




書き手が若い頃に哲学に憧れたいちばんの原因が
このポイントでした

格好良いと思った(笑)

現在は 
さまざまな分野の学問が 発展して自立して
専門志向が強いのですが

なにかひとつの分野だけを修めるのでなく
それら全体の包括的理解を志す学問が 
哲学なのです

社会的問題 政治 経済 
自然科学 芸術 道徳 などなどを
全体的な視野で物事を捉える学問といえます


<議論することが哲学>

哲学の目的は 答えを出すことではありません

問いを出すことが重要で
答えのないことを議論し 探求し続けるのです



近代の哲学は 疑いから始まりました

ある問いに対して答えが出ても
その答えに対する新たな問いが生まれる

だから 最終的に答えを出すことができなくなるのです

つまり 哲学は断言しない
この点が 
人生論や宗教と大きく異なるところです


<時代の転換点で活発になるのが哲学>

時代の考え方が根本的に変わり始める動きがあると
それを察知して 言語化するのが
哲学言われています

従来の考え方が上手くいかなくなると
新たに生まれた考え方で問題を考えるようになり
それが哲学という形で表面化していく

時代に移り変わろうとする時に
それを敏感に察知して表現することが
哲学のひとつの在り方なのです

ヘーゲルは「法の哲学」の序文で
ミネルバのフクロウは 迫り来る黄昏に飛び立つ
と記しました



ローマの女神ミネルバが従えるフクロウは
知恵の象徴とされますが



ヘーゲルは
その時代に特有の提起された問題を考え
ひとつの時代が終わろうとするときに
その時代を俯瞰する形で
時代が抱えてきた問題の本質を
捉えようとして登場するのが哲学で

新たな時代の始まりに姿を現し
時代の転換期に活性化されるのが哲学である

と述べています


<暇人が行う役に立たない学問>

スコラ の語源は 余暇 暇 と言われています

哲学は 役に立たない学問なのです(笑)




昔は まず
一般教養 リベラル・アーツとして哲学を学び

そのあとに
専門的で役に立つ 
神学 法学 医学などを学びました


哲学は 職業に直結しない 役に立たない学問

それだけに自由なので
哲学を学べば
のちに専門的な学問を自由に研究していくときに
視野の広さにつながります

役に立たないことが 哲学の強みと言えるようです



哲学には
視野の広さがある
時代単位の 非常に長いスパンで考える

だからこそ
時代の転換 時代の方向性を考える際に
大きな道具になる

ひとつの分野に限定されない
特定の分野だけで考えても見えないもの
さまざまな分野ごとの関係性
を見ることができる

そんな哲学の中心的な問題は
「人間とは何か?」
という 根源的なものなのです
高橋医院