哲学の流れを 
合理主義と経験主義だけで理解するのは片手落ちで

ここで登場してくるのがドイツ観念論です

ドイツ観念論について解説した本

@カント

フランス革命の時代の人であるカントは

経験のない合理論だけでは立ちいかないが
経験だけで全てがうまくいくわけではないので
経験と合理的理論を
うまく合流させようという考えを提唱しました

カントの肖像画

彼は もともとライプニッツの合理論の流れにいましたが

「独断のまどろみから目を覚まされ」て
ヒュームを通して 
合理論だけではうまくいかないことに気づき
それまでの自分の理論を反省するに至ったそうです

経験だけではうまくいかない
「必ず」とは言えない

経験で全てが説明できないとき 合理的な説明も必要となる

というスタンスに立ちました

何の知識もない人が
漠然と経験により観察を続けていても
それを説明する理論は生まれてこない

知識を通して対象を見ることにより
法則や理論を見出すことが可能になる

おかしなデータが見つかった時も
知識により それがおかしいと判断できる

対象を認識するためには
経験とは独立した形で理論を有していないとダメだ

「必ず」といえるものは 必然性で
知識を対象に投げ入れないと 必然性は生じない

カントの認識論について説明する図
カントの認識論について説明する図・その2

こうしたカントの考え方は
構成主義 構築主義 と呼ばれ

20世紀の現代哲学で主流となる
言語が異なれば 見るものも異なるという考え方の
言語相対主義に引き継がれていきます


カントは 
初めてドイツ語で哲学を書きました

それまでは哲学書は
世界共通語のラテン語か
言語としていちばん発達していたフランス語で書かれ
文化的に遅れていたドイツ語では書かれていませんでしたが
カントには ドイツ語で語る強い意志がありました

人間の在り方 認識の仕方
人間の自由の在り方 道徳観
などに特徴的なものがあり

ドイツ観念論の出発点となり
フィヒテ シェリング ヘーゲルらが 彼に続きました

フィヒテ シェリング ヘーゲルらのドイツ観念論の哲学者達


@ドイツ観念論

これまで述べてきたように
ドイツ観念論は 
合理論と経験論の“良いとこどり”で
カントが始めて ヘーゲルが完成させました

カントとヘーゲルの肖像画
カントとヘーゲルの論理を比較した表

ちなみに
カントはプラトン主義者とみなされ
ヘーゲルはアリストテレス主義者と
自分を呼んでいたそうです

うーん(笑)


@ポストヘーゲル

ヘーゲルによって
哲学の理論的な意味での全体化がほぼ終了し
近代哲学と現代哲学の分かれ目を迎えます

ポストヘーゲルの現代哲学の時代には
実存主義とマルクス主義が登場してきますが

実存主義とマルクス主義について説明する図

マルクス主義は
ヘーゲルのように理論的体系化を行っても
現実は少しも変わりませんでしたし

実存主義は
理論を作っても何も解決しなかった?

現代哲学って?
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