「コロナ時代の精神のワクチン」

こんな“ベタな”タイトルで放送されたのが
NHKのBS1スペシャル シリーズコロナ危機シリーズの一番組

お馴染みのマルクス・ガブリエル

「哲学はコロナ危機への有効な解になるか?」
と問いかけ

「精神を蝕む毒への免疫力を思考によって導きだせる」
と語る番組でした

うわっ!(笑)

マルクス・ガブリエル


番組の冒頭でガブリエルは
彼が暮らすドイツのボンの街中で

見えないウイルスへの恐怖が 
社会や人々を分断しようとしている

この私たちを分断する「精神の毒」に 
ワクチンを打たなければならない

「精神の毒」にワクチンを打たなければならないと語るガブリエル

現在 目のあたりにしているのは 新自由主義の終焉
私たちには 新しいグローバルな啓蒙の理念が必要だ

しかし デジタルの変革に加速すべきという考え方には 異議を唱えたい


パンデミックの今は まさに革命期で
このウイルスが 私たちに残された最後のチャンスなのだ

と語ります

熱いけれど ??と思う人も多いでしょうね(笑)


<科学にだけ頼っていて良いのか?>

あなたは どれくらいコロナを恐れているか? と問われ
ガブリエルは
個人的にはそれほど怖れているわけではない と言います

社会全体では 感染拡大防止の観点から
「人に感染させることは避けたい」という倫理観が問われている

その一方で
ウイルスは危険だとわかっていても
「今 行われている対策が妥当ではない 過剰だ」
と考える人々がいて
マスク着用の強制は個人の自由を侵害していると表明する人もいる

このような ある程度の幅はあっても良いし
むしろ それが民主主義というもので
結果は歴史が判断するだろう

ただ ウイルスの脅威を完全に無視する人々は
左右の過激派で民主主義を疑っている場合が多い

コロナを正しく怖れるためには 何が必要なのだろうか?

合理性とは何だろう? 理性から来るもの?

理性とは
危険な両極端のものを比較して 中間の道を見つけることで
これがリスク評価では重要になる

科学的評価は さまざまなリスク評価方法の一部に過ぎず
まだ科学で解っていないことが沢山あるのだから
科学だけに頼り切るのはどうか?
科学の知識のみに従って行動するのは 必ずしも合理的ではない

私は さまざまな複雑な要素が絡みあう社会環境のなかで
できるだけ多くのことにフォーカスして考えるように心掛けている

合理性とは 理性の下に
科学 経済 環境 政治など 多くのことを絡み合わせて考えること
多様な価値の均衡を図ること合理性について説明するガブリエル

科学的な知識だけに頼って
パンデミックを解決しようとするスタンスは 決して合理的ではない

科学に頼るだけでは合理的でないと語るガブリエル

確かに科学的知識は必要不可欠だと思うけれど
そればかりに振り回されるのはどうか ということでしょうが
うーん 合理的ではない とまで言いますかね?(苦笑)


<今こそ精神のワクチンが求められるとき>

ウイルスという完全に透明な存在が
人間とは異なるルールの下に存在しているのは 
とても興味深いことで
科学もウイルスを完全には理解できないし
人はウイルスをコントロールできていない

マルクスは
「宗教は悩める生き物のため息であり 民衆のアヘンである」
と語ったけれど
今の社会では 科学は民衆のアヘンになった

日々 感染者数や死亡者数を気にするのは まるで宗教のようなものだ

自然科学 医学は 問題解決に必要だが
それだけで問題が解決できるわけではない

科学は民衆のアヘンになったと語るガブリエル

ワクチンの分配などは
医学や政治だけの問題でなく 倫理 哲学の問題である

人が精神のワクチン=哲学を持たないと このパンデミックは解決できない

そうか~ 哲学は精神のワクチン なのですね!

哲学は精神のワクチンであると語るガブリエル

ガブリエルは さらに語ります

今回のコロナ危機は 自分の意識のパラメーターを変えた

今までにない見方をするようになり
物事を道徳的に捉えられるようになったし
危機の正体 やるべきことが 可視化されるようになった

この新しい意識が モラルの進歩 新しい啓蒙につながる可能性がある

善と悪を可視化できるチャンスで
人間の意識 道徳が進化するチャンスでもあると思う

語るガブリエル

コロナ危機をそんな風にとらえるスタンスは新鮮です!
高橋医院