ラモーのバロック・オペラバレエ
最近 コロナ絡みの頭でっかちな(?:笑)話題が続いて 文化の香りが足りなくなっていたので 久し振りに「ららら・クラシック」からネタを調達しましょう 書き手の琴線に触れたネタは 「ラモーとバロック・オペラの世界」 ゲストとして登場した いつも面白い宮川彬良さんは ラモーのことはほとんどご存知なかったそうで 最近になって 和声学の創始者としてのラモーの存在を知り 彼の音楽を聴いて そのドラマチックさ 現代に通じるキャッチーな雰囲気に 驚かれたそうです そうですか 意外です 書き手は 大学生の頃からラモーのことは知っていました というのも 当時好んで聞いていたボブ・ジェームスが ラモーの曲をアレンジしたCDを出していて 妙に気にいって聞いていたのです ボブ・ジェームスも ずいぶんお年を召されました さて 今日の主題となるバロック・オペラですが 16世紀末にオペラが生まれたイタリアで 17世紀のバロック時代に発祥します 王侯貴族の娯楽として発展し オペラ歌手の熱唱と大仕掛けの舞台装置 サプライズ満載で ヨーロッパで空前のブームとなり大流行したそうです しかし ヨーロッパのなかで 唯一フランスでは受けなかった なぜなら 上演時間が長いうえに フランスの聴衆はイタリア語がわからなかった それに 歌ばかりで 踊り・バレエがないので退屈したのです 当時のフランスには バレエの創始者であるルイ14世のもと 貴族が踊る宮廷バレエの伝統があったので 踊りがないイタリア・オペラは根づかなかったそうです そういえば昔 何かの本で イタリア人は歌い フランス人は踊る という話を読んだことがあります フランスもイタリアも芸術大国ですが このあたりの差は面白いです! で フランスでは 宮廷音楽家により オペラにバレエを取り入れてフランス語で歌う 踊りあり歌ありのフランスオリジナルのオペラが 確立されたそうです 17世紀には 歌とバレエのスペクタクルによる まさに エンターテイメントの世界である オペラ・バレエが誕生しました しかし 18世紀の1760年に パリではバレエが舞台芸術として独立したので オペラ・バレエは発展的に解消したそうです で 今でも愛されているオペラ・バレエの名作が ラモーの「みやびなインドの国々」 インドと言っても インドが舞台ではなく フランス人からすると異国情緒あふれる トルコ ペルー ペルシャ 北アメリカを舞台にした恋愛物です 51歳の時にこの作品を作ったラモーは もともとは教会オルガニストで 大衆向けのオペラを作曲し 大衆劇場の舞台音楽監督をしながら 1722年には和声論を発表し音楽学者として名声を得ました ラモーの音楽は ドラマチックで 色々な楽器を使い音色がどんどん変わる わくわくするもので 宮川さんは 芸術と芸能の根本が ラモーのなかでは1本になっている! ハイドンやベートーベンが生まれる古典派のはるか前に 歌あり踊りありのエンターテインメントショーが作られていたなんて 驚き以外のなにものでもない と興奮して語られます 確かに ラモーは1683年 バッハは1685年生まれで ほぼ同時代の人なのに作風は全く異なります これも ドイツとフランスの文化の差が関わるのかもしれません さて ラモーの音楽は「踊る音楽」でもあります 情緒的で人間的で ケレン味 色気のあるフレーズ 弾いていて自然にスイングしてしまうそうです こうしたバロック音楽は あまり均等に弾かず 自由にちょっと崩れた不均等なリズムで演奏するそうで 「バロックはロックである?」 なんて名言(迷言?:笑)も語られていましたが 書き手は さすがバロック その語源である「歪んだ真珠」の精神は 音楽でも生きているのだなと思いました(笑) 宮川さんは またも興奮して ラモーの音楽は 弾んで跳ねている感じでジャズに近い 何百年前に 時代を超えて ヒップホップのビートとしっくりくる 先駆的な曲を書いていたのは凄い と絶賛されます 確かにこの曲がジャズクラブで演奏されていても 違和感はないかもしれません! 2019年のバスチーユのオペラ座バレエでは 「みやびなインドの国々」が ヒップホップダンスを取り入れた演出で上演されて 大反響を呼んだそうです オペラ座のプロモーションビデオを見ると 本当に面白そうです ラモーの旋律とヒップホップダンスが 見事に調和していて そこにかぶさっていくオペラの熱唱! スゴイ! 見てみたかったなあ! いつも思うのですが フランスの文化は まさにエスプリが効いていてオシャレです!
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