休日に上野の森に行くとついついしてしまうこと

それは美術館のハシゴです

日常生活で
美術館に絵を見に行ける時間はあまりありませんし

上野には多くの美術館がありますから
興味がある企画展がいくつか開催されていると
ついついハシゴしてしまいます

ひとつの企画展は
最低でも2時間くらいかけて見るので疲れるし
それぞれの印象がぼやけてしまうというリスクがありますが
時間貧乏者はついつい、、、(苦笑)

2年前の桜の季節には
東京都美術館のグレコ 国立西洋美術館のラファエロ
をはしごしましたが

今回は東京都美術館の新印象派展のあと

国立西洋のグエルチーノ展に向かいました

グエルチーノ展の看板

グエルチーノは 
不勉強なことに名前すら知らなかったのですが

「よみがえるバロックの画家」
というキャッチコピーに魅かれて(苦笑)
久しぶりのロダンの考える人の前を通りました

ロダンの考える人の彫像

カミングアウトしますが 
なにを隠そう書き手は「バロックフェチ」です

バロックといっても 
いちばん好きな分野は彫刻や建築で
(マイ神様彫刻家のベルニーニ様です)

正直なところバロック絵画は
それほど好きでもないのですが
日本初のグエルチーノ展ですから?
(ほら 江戸っ子は初物好きだし、、、苦笑)


グエルチーノは 
17世紀にローマやボローニャで活躍した画家で

ヨーロッパでは
カラバッジオと並び称されるほど有名な存在で
一時期忘れ去られていましたが
近年は再び注目されているとか

彼の作品が市立美術館に多数展示されている
イタリアのチェント市が
2012年に大地震に見舞われ
未だに復旧の目途も立っていないことから
空き時間を利用して(?)日本で回顧展が企画されたそうです


で 館内の混み具合は
新印象派展の比になりませんが
客層は新印象派展のそれよりはるかに濃い!

微笑みを浮かべながら鑑賞している人など皆無で
真剣な表情でメモをとりながら鑑賞している人が多い

まあ はっきり言ってオタクの世界ですからね、、、

でも 正直言って
心に響く作品はひとつもありませんでした

鑑賞者の信仰心が薄いからでしょうか?(苦笑)

それでも印象的だったのが
マリアの被昇天をモチーフにした作品

マリアの被昇天

バロックは
プロテスタントの宗教改革に対抗する
反宗教改革運動の柱として展開されましたが

マリアの存在を否定しがちな
プロテスタントに対抗するように
マリア信仰を色濃く反映する作品は
見た目の美しさだけでなく
強いメッセージを発しているようにも感じました

しかもマリアは
自分が望んで昇天したのではなく
「被」昇天と記されているように
天から引き上げられるわけで

そうした”主体性のなさ”が
プロテスタントの”主体性の強さ”を
揶揄しているようでもあり、、、

あ すみません 
このあたりはフトドキモノの
バイアスのかかった解釈ですからスルーしてください(苦笑)

そんなことを思いながら
淡々と作品を見ていきましたが

イヤホンガイドで語られていた
「バロックのパラドックス」
という話が気になりました

いわく、、、

そもそもバロックは
プロテスタントを意識したものではなく

世の悪徳や肉体賛美に対する
精神性の高さをアピールするために
生まれてきたものだが

その精神性の高みを表現するために
美しく描かれた女性像は 
道徳の模範ではあるものの

その美しさ故に官能性が匂い立ってしまう

それこそがバロックのパラドックスであると

ほらね 
どこぞのフトドキモノと違い(苦笑)
プロはきちんと深い解釈をされるわけですよ

なるほどね 

バロックの官能は
意図して作り出されたのではなく

むしろ官能を否定するコンテクストのなかから
”図らずも”生まれたものである 

ということですね


フトドキモノの天邪鬼な書き手は
正直言ってグエルチーノの作品には
それほど感動しませんでしたが

このバロックのパラドックス論には感銘を受けました

なるほどねえ、、、


今日の〆は 神様ベルニーニの最高傑作 
聖テレジアの法悦


聖テレジアの法悦

オタクネタでスミマセン(笑)
高橋医院