どれだけ描かないかが大切だ 
こと細かに描くことはお洒落じゃない

扇子職人の荒井修さんが書かれた
「江戸のセンス:職人の遊びと洒落心」
という本は面白いです

書き手はこれまでに何度か読み返しました

江戸のセンス の本

要するに 人さまに何かをうったえたいときに

ベラベラと言葉を並べて語ったり 
ゴテゴテとたくさん描いて見せるのは
粋ではない

扇子職人さんは 
扇子という限られた空間に自らの意匠を表現するために

敢えて描きたいものの
一部分だけを描くことで 
見る人に
その大きさを感じとってもらおうとする

扇子に描かれたクジラの目

たとえば
鯨の目だけを描くことで
見る人には鯨の大きさを感じとってもらう

こと細かに描くことはお洒落ではなく
どれだけ描かないで 
見る人に雰囲気を感じさせるかが大切で

そのために どうやったら描かないですむかを
徹底して考える

最小限に描いて 
敢えて空地を広く残すことにより 
見る人のイマジネーションの活性化を試みる

月の一部と稲穂が描かれた扇子

月の一部と稲穂を描くことにより
十五夜の満月の大きさと空間の広がりを
感じてもらう

それこそが「遊び」だと
職人は語ります

そしてその遊びを
「のぞき」と表現する(覗きではありませんよ:笑)

のぞき 格好良いですね!

さすがにセンス職人さんはセンスがある!

この駄洒落を太字にして最後に(笑)とか入れるのは
センスがないということでしょうね(苦笑)


日本文化の粋は まさにそうした点だと思います

表現者は 
言葉多く語ったり コテコテとした修飾を敢えて避け
読む人 見る人に想像させる

読む人 見る人は
 呈示された最小限の情報の余白や行間を読んで想像する

想像するだけで理解しようとはしない
理解しようとするなんて 野暮だから?(笑)

余白に語らせる 余白を読む

大人の世界ですよね、、、

そういえば
「ローコンテクスト文化とハイコンテクスト文化」
という概念がいっとき流行りました

ハイコンテクスト文化
社会におけるコミュニュケーションの基盤である
言語・共通の知識・体験・価値観・嗜好性・ロジックなどが
人々によって高く共有されているため

多くを語らなくとも 
お互いに相手の意図を察して通じてしまう
語り手よりも聞き手の能力が問われる文化です

日本はまさに ハイコンテクスト文化の社会

一方  ローコンテクスト文化の社会では
人々の間のコンテクストの共有の度合いが低いので
言語によるコミュニュケーションが重視され 
わかりやすく単純な表現が好まれる
話し手が主導する文化 
話し手のプレゼン能力が問われる文化

西洋社会の多くが ローコンテクスト文化の社会です

ローコンテクスト文化なアメリカ・ヨーロッパとハイコンテクスト文化な日本を比較対照したグラフ


この 日本 ヨーロッパ アメリカを比較したグラフ

横軸は社会で共有されるコンテクストの濃淡
縦軸は人々の間で交わされる言葉の多さを示していますが
とてもよく表現された秀逸なグラフだと思います!

で ローコンテクスト文化の人は
ハイコンテクスト文化の人の
コミュニュケーションスタイルが理解できない

説明の言葉が少ないので 
何を言っているのかわからない

ハイコンテクスト文化の人は
ローコンテクスト文化の人の
コミュニュケーションスタイルに疲れる

やたらとしゃべったり説明するばかりで
そんなこと言われなくてもわかってるよ!(笑)

だから日本人は
なかなか世界とのコミュニュケーションの場で
グローバル化できず

特にアメリカ人にとっては
日本人のミステリアススマイルだけが
印象に残る?


はい 書き手も若かりし頃に
外国の連中とやり合ったとき
ずいぶんと苦労しましたよ(苦笑)

さらに話を転がしますが
とある雑誌で読んだ
ブランドの宣伝戦略に関する記事には
こう書いてありました

高級ブランドイメージを醸しだしたいなら
余白を多く使うと良い

多くの人にアピールしたいなら 
むしろ余白を少なくして
宣伝の文言を大きくすると良い

宣伝文字が多い大衆的な宣伝写真と余白が多い高級イメージの宣伝写真
右が高級イメージ 左が大衆的なイメージ 
なるほどー!

余白の使い方 奥が深くて面白い!

実は今
当院のHPのデザイン・構成のリニューアルを企んでいますが

デザイナーさんとの打ち合わせで
この「余白の楽しさ・難しさ」を
リアルに実感している次第でして(苦笑)

それにしても

「あんたはいつも
 余計なことをベラベラしゃべってばかりいて
 きっと口から生まれてきたに違いない」

と いつも揶揄されている身としては
「のぞきの美学」が本当に理解できるのだろうか?

はなはだ不安です(苦笑)


高橋医院