これ 何に見えますか?

しゃれこうべが描かれたバッジ

しゃれこうべ

でも ただのしゃれこうべではありません

ネコがたくさん集まって
骸骨の頭の形を作っています

江戸末期の人気浮世絵師 
歌川国芳の作品です

夜の美術館の内覧会のチケットを入手したので
国貞・国芳展 に行ってきました

国貞・国芳展のポスター

国芳は 
数年前のお正月に六本木ヒルズの美術館で開催された
彼の企画展に行ったことがあるので 
馴染みがあります

国芳は 大のネコ好き!

制作しているときも 
懐に仔猫を入れていたほどですから
作品には頻繁にネコが登場します

ネコを抱いた女性が描かれた作品

ネコ好きにはたまりません(笑)

それに彼は 
まさに ポップアーティスト というか デザイナー

あの感覚は 現代でも充分に通用しそうですが
江戸時代にあんなセンスを持ち合わせていたなんて 
驚きです!

頭から放射状に光を放つ怪物が描かれたポップな作品

今回の企画展は 
兄弟子の正統派浮世絵師の国貞とのコラボで
両者の特徴を対照的に見せるコンセプトだったので
余計に国芳のエンターテイメント性が際立ち
面白かったです

俺たちの国芳 わたしの国貞

俺たちの国芳 わたしの国貞と書かれた看板

企画展のこのキャッチコピーが 
まさに物語っているように

国貞が 
粋な歌舞伎役者や緻密な美人画を
得意としたのに対し

国芳は 
豪快な武者絵や意表を突くスペクタクルな構成を
得意としましたが

それをもって 
俺たちの わたしの 
と形容したのは上手い!

書き手は勉強不足で 
これまで国貞には馴染みがなかったのですが
今回 彼の作品をまとめて見る機会を得て
「わたしの」の良さも認識することができました

確かに 
ひとりで落ち着いてじっくりと鑑賞するには
国芳より国貞の方が良いかもしれません

国貞が描く 歌舞伎役者の粋な艶姿
当時はブロマイド代わりとして
庶民のあいだで大きな人気を
博したのもうなずけます

ブロマイドのような歌舞伎役者たちが描かれた作品

また 美人画や遊女の絵
殿方が奥方には内緒で
こっそり購入して
ひとりで密かに眺めて楽しんでいたに
違いありません?

美しい美人画

一方で国貞の美人画は 
当時の江戸で生きる女性の
最先端のファッションやメイクや小物を
丹念に描いていたため

当時の女性たちは
今の女性がファッション雑誌や
お洒落な女性誌を眺めるように
国貞が表した女性の姿を見ていたとか

様々なデザインの着物を着た女性たちが描かれた作品

国貞の浮世絵は 
老若男女を問わず 江戸の人々が
ひとりで こっそりと じっくりと
楽しむものだったのでしょう

では「俺たちの」国芳
どうして”俺たち路線”を
行くことになったのでしょう?

下衆な書き手は
当代きっての浮世絵の大
家の歌川豊国に入門し

歳まわりが10年違い
兄弟子 弟弟子関係にあった
国貞と国芳の関係が 
ちょっと気になります(苦笑)

プログラムに出ていた解説を読むと

遅れて入門した国芳は
最初に取り組んだ役者絵や美人絵の分野では
既に兄弟子の国貞が名声を得ており

師匠の豊国とのそりも
うまく合わなかったことから

しばらくは 
鳴かず飛ばずのくすぶった日々を
過ごしていたそうです

しかし やがて豪商のパトロンを得るとともに
当時 江戸で大ブームとなった水滸伝にヒントを得て
大胆な武者絵を描くようになりましたが

大胆な武者絵が描かれた豪快な作品

それが大ブレイクして
 武者絵の国芳 との評価を得るに至り
まさに「俺たちの」国芳と評価され

やがて 骸骨や巨大な魔物が登場する
豪快なスペクタクル浮世絵のジャンルを確立し
彼独自の世界を発展させていったそうで

巨大な骸骨が描かれたスペクタクルな作品

その才能は 後年 
さらに戯画や風刺画の世界を充実させたのも
至極当然の流れだったのかもしれません

人で顔を構成した戯画
風刺画

なるほど 
兄弟子・国貞の壁なくしては
あの国芳のびっくりワールドは 
花開かなかったのですね

国貞は後に 師匠の豊国の跡を継ぎ
浮世絵界の名門一門の総帥として
名を残しました

一方 国芳は 
多くの弟子に囲まれて
独自の ウイットに富んだエンターテイメントの世界を
さらに発展させました

国芳は国貞という兄弟子がいたおかげで
記録より記憶に残るポジションを
確立することができたのかもしれません

今回の企画展を観て
国貞の良さを
初めて認識することができましたが

うーん やっぱり個人的には 
国芳のダイナミックさの方が好みかな

読み手の皆さんは 
国貞と国芳 どちらがお好ですか?

ちなみに歌川門下では
上述のように入門後しばらくは不遇をかこっていた
国芳ですが

入門時には 
同じく門下への入門を希望していた
あの広重を蹴落としていたそうで

広重はその後 
国貞とも国芳とも画風が異なる
風景浮世絵の巨匠となったわけですが

広重の浮世絵

もしも入門時に国芳に蹴落とされていなかったら
広重の画風も異なっていたかもしれません

世の中 面白いものです(笑)
高橋医院