後宮の女房
清少納言 も 紫式部 も 後宮の女房であったとお話ししましたが そもそも 後宮や女房ってなに? 後宮 なんとなく 隠微な響きを持つ(?:笑)言葉ですが 皇帝や王様の皇后や妃が住むところを 後宮と言います この図だと 上半分に描かれたピンクのエリア 有名なところでは 江戸時代の大奥も後宮ですね 清少納言や紫式部が活躍した平安時代には 内裏と呼ばれていました で その後宮で 皇后や妃に仕えるのが女房で 主から部屋(房)を与えられて 奉公した女性のことを言い ひとりの后に20~30人ほどの女房が いたそうです 皇后や妃の身の回りのお世話をしたリ 雑務を行うわけですが 政府の要人や行政機関の官僚が 天皇や皇后に取次ぎを頼む際にも 女房を通じて頼むこともあり そういう意味では ちょっと生臭い職務もされていたようです さて 平安京時代の女房は 主の話し相手 教育係 としての職務が重要視されており それが故に選別は厳しかったとのこと 今の県知事にあたる役職である受領の娘が 女房になることが多かったそうです というのも 受領は経済的に恵まれていることが多かったので その家庭は個性を重んじる自由な雰囲気があり 受領の娘としての地方住まいの経験が 文化的奥深さも育くみ まさに女房の職務を果たすのに適役だったのです また 後宮での生活では それなりの衣装を着る必要がありますが そうした費用は全て時前だったので 実家が経済的に恵まれている必要もありました こうした背景から 多くの受領は 娘を女房として後宮に送り込むことに躍起になり そして 清少納言も紫式部も 受領の娘でした ちなみに 受領の娘は 上流社会の殿方からも 交際相手としてたいそう人気があったそうです さて 平安京の後宮は まさに文化サロンのような存在で 女房は 雇用主である皇后 妃や 後宮を訪れる公卿殿上人と まさにエスプリに富んだ会話を 繰り広げていたようです かつての銀座のクラブでの ホステスとインテリ客の会話のように と言われる方もおられるようです 今の銀座は どうなのかな?(笑) ですから 特に公卿殿上人たちが 天皇 皇后への接近の手掛かりとして 後宮の女房に接近を試みる際には 女房は その会話において ツーカー式の瞬時の反応 その裏に潜む学識の深さ が求められました 共通の教養・知識に基づいた 気の利いた会話ができることは必須であり 特に 当 時の男性社会では漢学が必須の教養でしたから 漢詩文が共通の話題となることも多く 女性とはいえ漢学・漢詩に通じていることが 人気のある女房の必須条件でした そして かな文学の代表的な作家である 清少納言も紫式部も 男勝りの深い漢学の教養を 身につけていたのです そんな女房たちと公卿殿上人たちの エスプリに富んだ気の利いた会話が 昼な夜な御簾越しに交わされる その様子は 枕草子にも源氏物語にも たびたび登場します この 御簾越し というのが なんとも優雅で格好が良いですよね!(笑) うーん それにしても 後宮の生活 奥が深そうですね 格好良いけれど 勉強してついていくのが大変だったろうなあ(笑)
高橋医院