世間
再度 忖度の話を続けます なぜ忖度はなくならないのか? それは 日本人は「世間」を気にせずには いられないから 空気 同調圧力 に続いて 今度は「世間」というキーワードが登場してきます 「世間」という言葉は 万葉集の時代からある 実質的な裏の人間関係を示すもので 自分と 利害関係のある人々と 将来利害関係を持つであろう人々 の全体の総称を示すそうです その特徴は 同質の人間からなり 外国人を含まず 排他的で閉鎖的な性格を有する こと 日本人は ある「世間」に所属できることで安心でき 「世間」は その構成メンバーのプライドの よりどころになる と同時に 「世間」の意向を 忖度せずにはいられなくなり 自分が所属する「世間」ばかり見て 社会に目を向けようとしなくなるので 余計に忖度がはびこりやすくなる そして 日本の多くの組織において 「世間」のコネや人脈により 社会の重要な決定がなされる そうした組織は ブランド力があり そこに属する人にとって 自分がそこに属することが レーゾン・デトール 存在価値になり また 自分は特別であるという 特権意識を持つが 一方で そこから排除されることを恐れ そのために忖度に走る そうした組織人は 想像力が欠如し 外の社会からどう見られているか無関心になるので 社会のルールや評価よりも 世間の意向を重視してしまい そんな組織人で構成される組織は 閉鎖的で 部外者を徹底的に排除して 内部の論理だけで動くようになる うーん なかなか恐ろしいものがあります で 「世間」のルール というのもあって *贈与 互酬の原則 もらったら返すことで 中元・歳暮が良い例ですが 個人でなく地位に贈られることが多く 見返りの期待や打算に基づく 一種の投資行動でもあるそうです(苦笑) *長幼の序 年功序列の意識ですね! *共通の時間意識 日本人独特の “今後ともよろしく”という感性で 西洋人は一人一人の時間を生きているので こうした共通の時間意識はない *差別的で排他的 *神秘性 世間は わけがわからない 正体がつかみにくいから 逆に圧倒的な力を持ち 合理性では判断できないほど 世間の暗黙の掟に縛られてしまう なるほど~ 書き手はスウエーデンで 留学生活をしていたときに それまで気づかなかった日本社会や日本人の こうした特徴を意識することが出来ました 特に 個と社会の関係の 彼我の違いに驚いた ちょっとした カルチャー・ショックでした(苦笑) たとえば こんなことがありました 研究室の仲間と談笑していたときに 書き手をポスドク(博士研究員)として 受け入れてくれたボスのために 頑張って実験して良いデータを出さないと と 書き手が言うと 変なこと言うなよ お前は自分のために研究しているのであって ボスのために研究しているわけではないだろ? と 指摘されたのですよ(苦笑) まさに 欧米人は個人として生きているが 日本人は世間のなかで生きていること を 実感しました 閑話休題 で 著者は 最近の社会は 世間のルールが崩れ 変化 流動化しつつある と 論を展開されます それは バブル崩壊後の社会の変化が影響していて 終身雇用 年功序列の崩壊 非正規雇用の激増 製造業からサービス業へのシフト などにより 従来の“世間のルール”が成り立たなくなってきた いわば 世間という きちんとした共同体が崩壊しつつある状態で 具体的な事例として 就職してもすぐに辞めてしまう若者の増加や お中元 お歳暮離れ などが挙げられています そして 人々は 二度と世間・共同体をとり戻せないと感じているので せめて共同体の匂いを感じたいと思い それが故に 空気を読むことにこだわるようになり 空気の影響力が以前にも増して強まっている 一方 SNSの普及により 見えない相手と円満に交流するため ネットでの炎上を防ぐために 空気を読むことが これまで以上に必要とされる ルールのない空気による支配 なんだか あやふやで危険な感じがします さらに 共同体だけでなく 国民国家を支える幻想も崩壊しつつあり 超ソロ社会が出現して来ているそうで そうなると人は 家族にも会社にも地域社会にも 頼ることが出来ないので 不安と孤独にさいなまれ それが故に 余計に共同体の匂いを感じたいと思い さらに空気を読むことに執着するようになる 悪循環ですね! 空気を読むことは 正体の解らない誰かの意向を忖度することと 表裏一体で 決して健全なことではない 空気の存在しない国や社会はないけれど 問題なのは 空気の支配を許すかどうか? 許さないとすれば 空気にどう対処するか? ということで 日本は 空気の支配を許す国なので いまだに忖度がなくならず 縛られている と 筆者は結論付けられます では そんな状況に どのように対処すればよいのでしょう?
高橋医院