バイオテクノロジーが人間を変える?
國分さんの著書では 「哲学は現代社会が抱える諸問題の解決策を明示できるか?」 と問います まず バイオテクノロジーの進歩が社会に及ぼす影響 について考えます ご存知のように 近年のバイオテクノロジーの進歩は目覚ましい こうした状況について アメリカのフランシス・フクヤマは2002年に バイオテクノロジーの進歩が人間の性質を変え 人間とは呼べないほどに 現在の人類とは異なったものに変えてしまう可能性がある と述べ “人間以降”の段階 “ポストヒューマン”の時代が来る と 危機感を持って警鐘を鳴らしました ポストヒューマン なるほどです たとえば クローン人間は バイオテクノロジーの進歩により提起される大きな問題です 遺伝子クローニングの技術の進歩により ある生物と全く同じ遺伝子を有する生物を 生み出すことが可能になりました クローン羊のドリーが話題になったことを 覚えておられる方もおいででしょう その技術を 人間に適応しても良いのか? これも いつか紹介した受精卵のゲノム編集と同様に重要な問題提起です 賛成派の人々は こんな風に意見を主張されます クローン人間は 遺伝子操作年齢が異なる一卵性双生児と同じだから なぜクローン人間は禁止されねばならないのか? イギリスの進化生物学者・動物行動学者で 「利己的な遺伝子」という名著を書かれたドーキンスは *科学と論理は いずれも 何が善で何が悪かという問いには答えられない *民主的で自由な世界を望むなら 誰もが納得する理由がない限り 他人の希望を妨げるべきではない *クローン人間も 望む人が出た場合 禁止を主張するためには 誰に対してどんな害があるのか明示する必要がある と述べて クローン人間を短絡的に反対することに警鐘を鳴らします アメリカの哲学者・生命倫理学者のグレゴリー・ペンスは *クローン人間を禁止するという現代の態度は 偏見に他ならない *しかも 多くの人はこれを偏見だと気づいていない 偏見と闘おうと立ち上がる人もいない *衆人の意見は必ずしも正しいわけではなく 単なる偏見である場合も少なくないのだから この意見に基づいて議論を正当化できないことも少なくない *かつて世間を騒がせた試験管ベビーも 最初はほとんどの人が恐れたが 今は普通の出産方法になっている と述べ クローン人間に安易に反対するスタンスに疑問を投げかけます 一方 当然のことながら 反対意見もあります 代表的なのが クローン人間は 遺伝的にユニークなものでなく 原形のコピーに過ぎないので 人間の尊厳を崩してしまう という意見です しかし この意見に対しては 人間が道徳的に価値があるのは ゲノムがユニークな場合だけなのか? だったら 一卵性双生児は 道徳的な価値を欠いているのか? という反論も出てきます ドイツの良心と呼ばれた 哲学者のユルゲン・ハーバマスは *クローン人間の議論は 規範的な観点に基づいて議論すべきである *全ての市民の同等な自律に対する 相互的な尊敬と結びついた 平等主義的法秩序の原則を重視すべきだ と 議論の仕方について前置きしたうえで *クローン人間は その誕生以前に他の人が定めた判断を 生涯にわたり恒常化させ続けることになる *通常の親子の遺伝プログラムの受け継ぎは偶然の結果だが クローン人間では それを最初から他人が決定する *他人が手出しするかどうかが 決定的に重要になる と クローン人間の問題点を明快化します では 他人が手出しすることのどこが問題なのでしょう? 読み手の皆さんは どう思われますか?
高橋医院