金融工学の果てに
欲望の経済史 最終回の第6回は 欲望が欲望を生む ~金融工学の果てに~ というタイトルで 金融工学が生んだバブルという破綻 を経験した資本主義経済が この先 どこに向うか検証します <資本主義とは何者か?> 資本主義は 人々の欲望を核として あらゆるものを飲みこみ続ける運動体である 現代は AIをはじめとする新たな技術により 欲望が瞬時に莫大な金銭を自動的に動かす 「AIトレード」などを生み 更にスピードを増して成長している では その本質とは何か? グレゴリー・クラークは 資本主義は 何千年も前から存在してきた経済のルールで 誰もが使う言葉だが 人々によって概念が異なり 定義は困難になってきた *搾取 権力とコネを持つ人々の勝利 *開かれた社会 *能力主義 *血筋や家柄に影響されない社会 *国家から逃れられるシステム *自由に我が道を進める社会 などなど しかし その本質は 人々が交流しビジネスが行われ より良い結果を生もうとすることではないのか? そして このルールは 歴史上ずっと存在してきたものに他ならない と語ります <なぜ金を稼ぐのか?> 南カリフォルニア大学の ジェイコブ・ソールさんは お金を稼ぐ目的は 教養を学ぶためだ というアダム・スミスの言葉を引用し 人文学 哲学・宗教・歴史・文学を学ばない限り 安定した持続可能なシステムに たどり着くことはできない それらこそが 問題を解決するのに必要な見識である 細かなシステムの問題ではなく 社会のビジョンを作る作業が重要で それは教養ある創造力豊かな人から生まれるもの 人々に夢を与える芸術や人文学に投資することが 資本主義の未来を変える 自らの国の歴史や文化を理解している国は 財政も上手くいく と説きます 個人的には この意見に”イイネ!”です 目先の成果の獲得ばかりに固執するあまり 長い目でものを見ることを軽んじたり 人文科学を軽視する風潮は かなりマズいと思っています <資本主義はどうなる?> 再度登場したウルリケ・ヘルマンは 資本主義は 人類が初めて考案した経済成長を生むシステムだと 資本主義が有する意義を強調します しかしそれは 弱者を淘汰する競争主義でもある だから過度の市場信仰は危険である 現実は 少数のコンツェルンが競争でなく協力し合って 経済を支配する状況になってしまっている そして 今の資本主義社会の終焉は見えている 残念ながら 社会は永久には成長し続けられない なぜなら 資源が枯渇するし 環境が限界を迎えるから 今のままの成長を望んだら 地球が2個必要になる なぜ そうなってしまったか? それは 資本主義経済とエコロジー経済が 結びつけていないからだ 両者の結びつきに関する研究が全く進んでおらず 過度な資本主義へのブレーキのかけ方が 全く分かっていない と悲観的に現状分析します ダニエル・コーエンは 将来は人々の仕事は ルーテインワークでは通用しなくなる AIやロボットから人間が職を守るためには 更なる効率化が求められ 働き手には苛酷な環境が強いられる 失業からいかに守るか? ということが切実な問題になる と 将来の職業環境への不安を語ります そして最後に ロバート・スキデルスキーが 資本主義の次に何が来るか? と 問います 資本の蓄積がさほど重要でなくなったとき 既存のシステムは必要なくなる 儲けるというモチベーションが不要になったとき 物質的欲求でなく 良い生き方を考え求めるようになる と彼は語りますが うーん そんなに上手くいくかな?(苦笑) 資本主義は 日々形を変え 根底には欲望がうごめいている そこにあるのは 進歩か? 安定か? 後戻りか? 番組全体を通して カール・マルクスの警句が幾度となく流れます 歴史は繰り返す 一度目は悲劇として 二度目は喜劇として 喜劇を楽しむ余裕が 人々や社会にあればよいのですが(笑) ヒトの性とも言える欲望が さらに欲望を生む過程で発生し 時代ごとの欲望により変化成長し続けて 今や袋小路に入ってしまった感がある 資本主義システム はたして人は 欲望から離れて 資本主義を超える新たなシステムを 構築できるのでしょうか? 学者たちが思い描くように 簡単に欲望を克服することが できるのでしょうか? 読み手の皆さんは どう思われますか?
高橋医院