マルクス・ガブリエルの
日本滞在ドキュメンタリー番組の
続きです

彼は 
大阪大学のロボット工学研究者の
石黒浩さんを訪ね対談します

この対談は なかなか興味深かった


石黒さんは ドイツ人のマルクスに 
こんな疑問を投げかけます

ドイツだけは 
他のヨーロッパの国々と異なり
人間型ロボット ヒューマノイドの概念を
理解できない人が半数近くいる
強く否定する人も多い

どうしてなのか?

対談するガブリエルと石黒さん

マルクスは こう答えます

自分も 
ヒューマノイドという認識を
拒絶してしまう

人間の姿をしている時点で 
受け入れられない

受け入れるには 
別の次元の想像力が
必要なのかもしれない

ヒューマノイドを拒絶すると語るガブリエル
そこから 
哲学と科学に関する議論が
展開されます

マルクスは語ります

ドイツ憲法の
最初の一文には 
カントによる人間解釈がある

それは 人間の尊厳は不可侵である 
ということ

人間の尊厳は 
カントが与えてくれたコンセプトである


石黒さんは 
では人間とは何か? 
と問います

人間の定義は何なのか? 
未だ定まっていないのではないか?

定まっていると考えると
人間について
新しいコンセプトを考える際に 
障害にならないか?

石黒さんの質問に答えるガブリエル
マルクスは答えます

ドイツでは 
人間の定義は定まっている

その理由は 
ドイツの過去の過ちは
非人間化のせいだったと
考えているから

強制収容所は 
非人間化の果てなのである

だから 
確固たる人間の概念が
必要とされる

それが揺らげば 
再び強制収容所の悲劇が
起こってしまう

絶対に 人間とは何か ということに 
疑いを持ってはならないのである


ドイツ人は
ヒューマノイドのような研究が 
人間性を破壊するのではないかと
恐れている

ドイツ人は 皆 
基本的なドイツ哲学を共有している
それは観念論で統一されている

ドイツ人には 見えない皇帝 がある

哲学が 
ドイツの見えない皇帝なのである

ドイツ観念論の哲学者たちの写真
うひゃー 

ドイツ人って 皆さん
観念論を自覚して
生きておられるのですか?

忌まわしい過去とは
きっぱりと決別しなければならないという
彼等の心意気は充分に理解できますが

それにしても 
そこまで突き進んじゃうのですね

マルクスの応答を聞いて 
正直なところ ちょっと驚きました

個人的には ドイツなら 
観念論より
ロマン主義の方が良いです(苦笑)

ドイツロマン主義の絵画
さて 石黒さんは 
こんな自説を披露します

人はどうして 
こんなにもロボットや技術に
関心を持つのか?

人間は 
テクノロジー 技術を使う動物である
技術を使わなければ 猿になる

ロボットに夢中になる理由は 
それが人間の目標だからではないか?


マルクスは答えます

そうはならないし 
それを試すことすら 
すべきではないと思う

なぜなら 
人間の倫理的価値の土台にあるのは 
進化上の祖先だから

“私たちは猿だ”が 
倫理の源である

進化について語るガブリエル
では 
技術の進歩が人間性を損なうと
考えるのか?

違う

人間性は 
その度合いが減ったり増えたり
するものではない

人間性とは動物であることで
人間は本質的に
10万年間変わっていない

しかし 
技術によって我々の自己像は変わる

人間が動物であることは変わらなくても
技術の進歩への適応は 
自己認識を変えてしまう

ロボットを通じて 
自分達を理解するようになった

それが私たちの倫理と行動様式を
変えてしまうリスクがある

それは 
民主主義の土台が揺らぐということ

コンピューターによる
社会の支配につながりかねない

その点が気懸りだ

熱弁するガブリエル

うーん この議論は難解ですね!

“私たちは猿だ”が 倫理の源である

人間性とは動物であることだ

というコンセプトが 
いまひとつ理解できない


前回も

日本の民主主義は
脅かされているように感じられる

なぜなら 
動物としての自己像が
脅かされているから

という議論がありましたが

動物であることが意味するものが 
うーん ピンときません(苦笑)

もう少し勉強しないとダメだなあ


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