閉じた作品 開かれた作品
芸術が社会を変える力を持つことが 紹介されましたが 制作者の自己満足で終わらず 人に共感や感動を与えることができる芸術 とは 一体どんなものなのでしょう? 山本さんは 閉じた作品 開かれた作品 という概念を用い その点を説明されます <閉じた作品 開かれた作品> 閉じた作品 とは 制作者の主観の世界だけで作られた 客観性がない作品で 自己満足の独りよがりなものです 社会性に欠けているので 商品として売れず 美術品としての価値がない 閉じた作品を作る人は 美術が好きなのではなく 自分が好きで そういう人は プライドは高いそうです(笑) 一方 開いた作品は 他人からどう見られるか? 作品にどのようなメッセージ性があり それをいかに伝えるか? が考慮されていて 芸術の流れ 歴史の文脈の中で 自分の作品がどの位置にあるか? という客観性が意識された作品です 開かれた視点 判断がないと その作品を見た多くの人が 新たな価値観を共有することは できないのだから 良い芸術家は 作品を作る才能だけでなく 作品の価値を客観的に判断できなければならない つまり 良き製作者であると同時に 良き批評家でもある必要がある と指摘されます
芸術家は 売れる作品を作らなければならない 一昔前の芸術家が聞いたら 頭から湯気を立てて怒りそうな言葉ですが それは 周囲におもねったり 妥協することではなく 魂と存在を揺さぶる 言葉を超える感覚によって 周りの人と価値を共有できる作品を 制作することなのだ と言われます 要するに 金銭がどうのこうのということではなく 主観的な作業である芸術作品の制作においても 自己満足の領域を出ないレベルではダメで 見る者を納得させられるものでないと 芸術作品とは言えない と言うことですね 特に 解釈が難解な現代アートは 作品の意味や価値を わかりやすく説明することが大切になります 自分の作品が 芸術 文化の文脈のなかでどのような位置にあるか 歴史的な視点で説明できることが 大切だそうで たとえば 日本の代表的な現代芸術家である村上隆さんが 自らの作品をアピールするために使われた 「スーパーフラット」という言葉は 自分の作品の特徴でもあり 日本において 美術をはじめとするあらゆるシーンで見られる 「平面性」を説明しアピールするする言葉として 実に的を得ています 現代の芸術家は こうした言葉で自らの作品を 説明できないといけない ましてや 芸術のスポンサーが少ない日本では 芸術家もビジネス感覚が必要だそうです 現代アートのアーティストは 作品という商品を売る立場もある そのためには 自分の作品の価値を客観的にとらえ それを言語化して伝える必要がある 昔の芸術家の方々が こんなことを聞かれたら 腰を抜かされてしまうかな?(笑) <東洋と西洋の美に対する認識の違い> 山本さんは 最後に話を転がされて 東洋と西洋の美に対する認識の違い について述べられます まず 鑑賞の対象が異なる 東洋では 作品を制作する所作も 鑑賞の対象になるけれど 西洋では できあがった完成品のみが鑑賞される 時間感覚も異なります 西洋では 作品は半永久的に残るものとして存在し 自然と対立して永遠に残るもの を求めるけれど 東洋では 作品ができあがった瞬間が最高の到達点で あとはすぐにばらしてしまう 生け花などは まさにそうした芸術ですね つまり 東洋の芸術は 時間とともに変化し消えていく 自然界のあらゆるものは変化していくという 諸行無常の仏教的世界観が反映しているのだろうと 山本さんは推測されています 西洋は 自然をコントロールしようとするけれど 東洋は 自然に溶け込もうとする という話は 色々なシーンで耳にします たとえば庭園について言えば 西洋の庭園は 野原を開拓して人工的に作りますが 日本の庭園は 周囲の自然を借景として利用します そうした観点からも 彼我の美の認識の違いのお話は とても納得できるものでした
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