ブルゴーニュとボルドーの礎
やがて 世界に冠たるワイン大国であるフランスで ワイン造りの基礎ができていきます 5世紀末に クローヴィスがフランク族を統合して メロヴィング朝を興こし フランスの原型となりました ここで 王権とキリスト教が結びつき ワインが王と宗教に公認される飲み物になったのです そして ブルゴーニュとボルドーの基礎ができていきます ちなみに 神聖ローマ帝国を作り 初めてヨーロッパを統合した カール大帝(フランス名ではシャルルマーニュ帝)は ワインを大切にしましたが ブルゴーニュの最高の白ワインのコルトン・シャルルマーニュに その名を留めています この話には面白い逸話があり シャルルマーニュ帝は もともと赤ワインがお好みでしたが 立派な白い髭が赤く染まってしまうので 周囲から白ワインを勧められ 白ワインしか飲まなくなったそうで それでコルトン・シャルルマーニュが生まれたとか
ホント?(笑) <ブルゴーニュ> ブルゴーニュ地方を治めていたブルゴーニュ公は 豊かな経済力を誇り 経済の規模も文化の洗練度も フランス王家にはるかに勝り 首都のディジョンは 栄華と繁栄を極めていました このように 飲み手の文化度が洗練されていたので 優れたワインが造られるようになります やがて修道院がブルゴーニュのワインを育てていき ボーヌのワインがフランスで最上位のものとなります ちなみに ブルゴーニュを代表するロマネ・コンティですが 面白い話があります ルイ15世のお妾さんのポンパドール妃が ブルゴーニュの飛び切り優秀な畑の噂を聞いて買おうとしましたが コンティという貴族が 札束で頬っぺたをひっぱたいて横取りしたのです そしてこの畑が のちにロマネ・コンティと呼ばれるようになりました この話題の続きはあとで紹介します <ボルドー> フランス南西部を治めるアキテーヌ妃と フランス人でありながらイギリス王位継承権を有していた アンリ・ブランタジネットが 1150年に大恋愛結婚したことにより フランス南西部がイギリス領になりました これが原因で イギリスとフランスが100年戦争に突入するのですが このフランス南西部に位置するボルドーは ローマ時代からワインの産地でしたが イギリス領になったおかげで イギリスに税金抜きで ボルドーのワインが輸出されるようになりました もともとイギリス人はワインが大好きだったので これを契機にボルドーは イギリスとのワインビジネスで繁栄していきます 商人と貴族が ワインビジネスを背負っていったのです このように ボルドーワインは それまではイギリス人を得意先として発達してきたので フランス人のワインというよりイギリス人のワインでした 今でもロンドンはボルドーワインの一大取引地で イギリス人たちは ボルドーワインを「クラレット」と呼び愛飲しています ルイ15世のヴェルサイユの時代には ボルドーのシャトーワインが ヴェルサイユやフランスの上流階級で飲まれるようになり フランス最高のワインになりました これには裏話がありまして 前述したように ブルゴーニュのロマネ・コンティを手に入れ損ねたポンパドール妃が 腹いせに ボルドーのシャトー・ラフィットを贔屓したので ボルドーの地位が上がったと言われています ホントかな?(笑) こうした事情を経て18世紀前半には ブルゴーニュ ボルドーのワインは ワインの理想像 典型ともいうべきクラシック・ワインと 呼ばれるようになりました <フランス革命後のワイン> その後 ワインは王家の権勢を示す飲み物になりましたが フランス革命が起こり 誰もがブドウ畑を持つことができ 誰もが好きにワインを作ることができ 誰もが売れるようになったのです そして ワインが社会に広がり 消費者層が急増し 大量のワイン取引が利潤追求をするビジネスの手段になり ワイン販売産業が大産業として発達していきます ボルドーでは 貴族がワインを醸造するシャトーを建てていたので もともと貴族的な雰囲気が強かったのですが フランス革命後は ブドウを栽培してワインを造る農家と ワインを販売するネゴシアンに二分され 現在のワインビジネスシステムが成立しました 一方 ブルゴーニュでは 一貫してドメーヌと呼ばれる自作農家が 自分の畑でブドウを栽培し ワインを造り びん詰めして 販売しています ですから ブルゴーニュのワイン造り家たちは 民主主義的気風が強いと言えるそうです
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