創造的であれ さもなくば死ね
欲望の資本主義 2018 番組は いよいよ終盤にさしかかります <第8章 交換だけが駆け巡る> イノベーションを どう評価するか? そう問われた ノーベル賞受賞経済学者のステイグリッツは こう答えます 不思議なことに マクロ経済の視点から見て イノベーションによる生産性の向上は 認められていない イノベーションで得られた富が 一般の人たちからは見えないのだ ここで イノベーションに絡めてインターネットが 話題になります ダニエル・コーエンは インターネットが経済に及ぼす影響について こんな指摘をします インターネットは 生産者と消費者をマッチングさせる 市場の機能を効率化し 需要と供給の法則を強化していて それ自体が とても秀逸な「市場」として機能している つまり インターネットが 市場の新たな「見えざる手」になっている 一方で 現代社会では 多くの人々が過大な競争圧力にさらされているが Google Apple Facebook Amazonなどは例外で 他者には競争圧力をかけながら 自らは競争を回避して利益を独占できている 最近 なにかと話題の ”GAFA" ですね! こうした格差も生まれつつある インターネットについて ステイグリッツは 検索エンジンやFacebookなどの恩恵は確かに大きく 人々の生活に影響を及ぼしているけれど それらは 経済学的な統計には反映されていないし 同様に社会に大きな影響を及ぼしてきた 電気やDNAに比べて インターネットはどれほど重要なのか? という疑問について 経済学者の間で議論が尽きないのが現状である と指摘し イノベーションとインターネットをまとめて イノベーションを生む側にとっては 人々の暮らしに影響を与えることは喜びだろうが しかし 人が24時間 インターネット すなわち他人に駆り立てられることは それほど幸せなことか? と疑問を呈します うーん 耳が痛い警句ですね! イノベーションによって生まれたインターネットは 人々の日常生活を “駆り立ててしまう” 新たな価値観になったのでしょうか? では 根本に立ち返って 経済における価値とは何か? 何が価値を決めるか? なぜそれに価値を見出すのか? セドラチェクは それらの問いにこう答えます 価格は客観的で簡単だけれど 価値は難しい 価値は主観的で人それぞれだから では なぜ 金(価格)と モノ(価値)を 交換できるのか? マルクスは この交換に 神秘を見出しました 商品が貨幣になる 命がけの跳躍 これは 資本主義世界に潜む謎 である 価値は 主観的なので 測れない 比べられない 価格は 客観的なので 誰もが認める評価ができる 人々は そんな価値と価格の関係を 理解しようともがいてきたけれど 結局それは困難だ それでも人々は 日々の経済のなかで価値を交換している うひゃー 話が抽象的で難しくなってきましたね(苦笑) 価値と価格の関係ねえ、、、 これまで 考えたことはないし そんな疑問を思いついたことすら ありません(再苦笑) オークションなどは 価値を価格で評価する わかりやすい仕組みだと思いますが 日々の生活のなかでオークションみたいなことを いつも行っているという実感は ないなあ この謎が語っているのは どういうことなのでしょう? 価値と価格の関係 なかなか難しいです、、、 <第9章 闇の力が目覚める時> コーエンは イノベーションの話を引継いで こう語ります 現代は 創造力の追求が 人々に要求される新たな義務となった イノベーションによって 人は 創造力を必要としないルーティンワークを することがなくなり その代り 創造力の追求を認められる そんな社会に変化した 創造的であれ さもなくば 死ね と 迫られているようなものだ そして そこには 創造性がグローバル経済に搾取される というストレスもある 生産性を高め 想像力を高め 職を奪うAIや機械に打ち勝たなければならない これが新たな競争の世界で 人々は緊張感を強いられている 世界はかつてないほど 「経済のルール」に支配されつつあり その資本主義のルールを作ったのは テクノロジーなのだ えっ どうして急にテクノロジーが出てくるのでしょう? マルクスは 機械の怪獣性 悪魔的な力を 既に見抜いていました 手動の製粉機は 封建社会を生み 蒸気式の製粉機は 資本主義社会を生む 生産の形態 条件が 社会の構造を決める テクノロジー 経済の在り方が 社会や人間のありようを決める これこそが シュンペーターがマルクスの著作に見出した 闇の力の正体なのです 経済や社会は 独自の力で動く そのなかで人々は 自分の希望に関係なく 一定の行動を選ばされてしまう 自由を奪われるというより 自ら心理的に選択の幅を狭めてしまう 個人がいくらあがいても その流れを変えることはできない 資本主義の構造の力 こそが 闇の力 前にも書きましたが 自分が存在するシステムの中で生きている人々は 意識することがなく 意識できたとしても抵抗できない そうした社会や経済の構造の力が まさに闇の力だ というコンセプトは とても興味深いものがあります そして 創造的であれ さもなくば死ね という世界は 確かに厳しいですね そんな世界に 本当になっているのかな? なんだか 空恐ろしいきがします さて こうした分析を受けて コーエンが再び語ります 今の時代は 常に自分を変革することを強いられている フロイトは「文化への不満」という著書の中で 芸術家のように生きるのは不可能だ 人の人生を 芸術家のようなものにしてはいけない なぜなら芸術家は不幸だから 芸術家はいつも 創造性の欠如への恐怖にさらされているから と述べているが 今の新しいテクノロジーの世界では 常にそうした緊張がある 芸術家になることを 日常的に迫られる苦悩 いつも 自分が得意なことは何か と 自分自身に問いかける生活を強いられる それがストレスと緊張を生むので 燃え尽きてしまう人が大勢いる 人々は能力を限界まで出し切ることを求められる それが昔の労働者との大きな違いである このフロイトの芸術家の苦悩のたとえは なかなか的を得ていますね! 新しいテクノロジーがやっているのは 前の文明の破壊である より素晴らしい明日に向けて 人々は変化に心を躍らせる しかし それが義務になったら 楽しいはずの創造が いつの間にか苦しくなる では 働くのは 何のため? この章は こんなナレーションで終わります うーん 人は何のために働くのでしょう?
高橋医院