書き手が 健康格差について
勉強するきっかけとなったのは

朝日新聞の
生活習慣病になるのは自己責任か?
という記事でしたが

健康格差についても
自己責任論が色々と影を落としているようです


<健康格差の自己責任論>

健康管理は個人が自己責任で行うことで
国や行政が面倒を見る必要はない

という自己責任論が根強いのが
日本の社会的風潮だそうです
健康格差は自己責任により起こるかを問うポスター
しかし
こうした風潮が
健康格差の解消の弊害になると指摘する専門家は
少なくありません

健康格差を 
個人の問題として放置できるか?
社会が個人を斬り捨てても良いのか?

社会の問題として考えるべきではないか?

そうした疑問が投げかけられています


健康格差を 個人責任論で斬り捨て
行政や社会が対応せず放置しておくと
医療費 介護費 社会保障費がどんどん増大して
やがて国民全体が負担を強いられることになります

たとえば 
社会保障費で賄われる生活保護の原因となるのは
「病気になること」が多く
明日は我が身の問題になりかねないのです


<なぜ自己責任とされるのか?>

健康格差が自己責任によると考えられる理由は
いくつかありますが

バブル崩壊後に続く所得水準の低下が
自己責任論を加速させていると考えられています

高度成長期に潤っていた分厚い中間層が
雇用環境の変化などにより崩壊・下流化し 
経済的に自分の生活に手いっぱいな状況になったので

不健康な人を
自覚や努力が足りない 甘えている人と
見做すようになった

病気で困っている人を
悪い人と思ってしまう社会になった
というのです

そして 
社会の歪みが自己責任論を増強し
不健康な人を自己責任のせいにして
斬り捨てようとしている

自己管理ができていない人に
余計に厳しく当たってしまう社会になっている

財政問題が
人の心を荒廃させ 
人に対する刺々しさを増している



自己責任論を声高に主張するポスター

社会保障に対する負担の増加や
富の再配分の不公平感が
健康自己責任論の根源にあるのではと
指摘する声もあります


しかし自己管理は
コストもかかり ストレスもたまるし
経済的理由などで
現実的に出来ない人も少なくありません

例えば 非正規雇用者は
健康への意識を高め生活改善したいと思っても
そこに充分な時間を避けない現実もあります


また 個人では変えられない問題もあります

例えば 以前ご紹介したように
個人の塩分摂取量は
摂取源の9割を占める加工食品の
塩分含有量に規定されるので
イギリスで行われたような行政の介入がないと
解決することは難しい

個人の力だけでは健康問題を解決できないことを説明する図

そうした
個人の力ではどうしようもできない
極端なケースに対応できるのが
国家の役割であり
社会保障の存在意義ではないのか

健康格差は
個人的な問題でなく 社会の大きな問題である 
という認識が必要で

自助努力だけでは限界があり
行政の介入は不可欠である

という意見は
かなり説得力があると思います


さらに

*出生時体重が少ないと
 将来 糖尿病 心臓病になりやすい

*両親が経済的に苦しいと
 出生時体重が少なくなりやすい

といった 
自己責任だけでは説明できない
医学的問題もあります



<健康格差を社会の問題として考える>

健康格差の問題は
健康を意識したくてもできない人が
健康にならないと解決しない

そうならないと 
医療費 生活保護費の増大などで
最終的には 
全ての国民に負担としてのしかかってきてしまう
と 自己責任論について総括されます

そして
健康格差のについて考えることは
憲法で保障されている社会保障について
考え直すことで

社会保障制度について説明する図

全ての国民に
最低水準の生活を保障するために
所得に応じて徴収する税金 保険料を財源に
再配分する形で行う政策が必要なのではないか?

非正規雇用者が4割
共働き家庭が5割を超え
地域社会のつながりが減少する

そうした社会構造の変化や経済の停滞により
社会のセーフティーネットから
こぼれ落ちる人が増えてきて

いちどつまずくと立ち直りづらい
不確実性の高い社会になり
再分配からこぼれ落ちた人が
健康格差の当事者になっている

そういう認識が必要なのではないか?


健康格差と社会保障の機能不全の
原因は同じで
両者は表裏の関係にあり
社会保障のあり方も変えていかないといけない

選別主義でなく 普遍主義的な考えで
社会全体を健康にして行く道を選択すべきだと
筆者らは最後にまとめています


うーん 正直言って
そこまで考えたことは ありませんでした

そして 
では個人の力では
いったい何ができるのだろうと 
考えてしまいます

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