スマホは抗うつ薬?
東京 大阪 京都 駆け足で日本を旅しながら マルクス・ガブリエルさんは 街の雰囲気を肌で感じ 人々と会話を重ねながら 日本社会について語り続けます 社会の効率性が あまりに高い状況下では 人は抑圧される 東京の電車のなかで 人々はスマホに逃げ込んでいた 強要されてもいないのに 自らそうしている 効率性が 自らを追い詰めているからに 違いない システムや構造の 速すぎるスピード 効率性の中で 一瞬 個人は わだかまりを感じて内省する そのとき個人の精神は 呆然と取り残されるか システムに逆行せざるを得ない そして そうしたときに 個人はうつになりやすくなる だから スマホは 抗うつ薬のようなものだ 日本人が 地下鉄でもどこでも 指先を動かすのは 無意識に内省から逃げているからだ 精神が自分を食い尽くそうとするのを 必死に防いでいる スマホに没頭することで うつと戦っているのだろう もしスマホがなければ 人々は即座に うつになるかもしれない 確かに現代社会では 精神的に疲れている方は 少なくありません 内科を標榜している当院でも そうしたことは 日々の診療で実感します そして 好むと好まざるにかかわらず 社会の構造そのものが そのような状況を 生み出していることも なんとなく理解できるような 気がします ただ うつからの回避のために スマホに没頭している スマホは抗うつ薬だ という解釈は 意外で驚きました 京都大学では 英語でなく母国語のドイツ語で 講演したあと 番組のまとめのような形で こんなことを語りました 日本社会は 今のところまだ民主的だが しかし民主主義は 脅かされているように感じられる なぜなら 動物としての自己像が 脅かされているから うーん この部分は ちょっとわからなかったなあ、、、 人間の動物としての自己像云々は あとで紹介する ロボット工学者さんとの対談で 出てきます ちなみに 彼はとても流暢でわかりやすい英語を しゃべるのですが 本当に気を入れる講義では 母国語で語るのですね 以前 エマニュエル・トッドのインタビューで それまでは英語で受け答えしていた彼が 問題の核心に迫る質問を受けたときに 突然フランス語で語り始めた そのことを ふと思いだしました 面白いですね(笑) 閑話休題 彼は かつて西田幾多郎が歩いた 夕暮れ迫る哲学の道を散歩しながら 日本について語ります 日本は哲学者にとって 興味深い国である 静寂が叫んでいるようだ 一見矛盾しているようで 末端では つながっているのかもしれない 日本に張り巡らされた社会の網の目は 窮屈かもしれないが そこにある見えない壁を 乗り越えないといけない 家族でも友人でも 冷笑的で反民主的な態度に出会ったら たとえ皆と違っても ノーと言い 戦おう ノーと言える勇気を 持たなければいけない 自由に考えることに 最上の教育的価値をおくべきだ 日本社会で 暮らしている書き手ですが うーん マルクスが指摘する 社会の網の目 見えない壁は 認識できていないかもしれません チコちゃんに 「ボーっと生きてんじゃねえよ!」 と叱られちゃうかな?(苦笑) でも マルクスが熱く語った 最後のメッセージは わかるような気がしました ちなみに 京大での講義のあとの質疑応答で 「初めて哲学的考察をしたのは どんな状況だったか?」 と問われ 最初の哲学的な問いを自覚したのは 6歳の頃で 光の加減でものが二重に見えたとき 存在と認識について目覚めた と答えています うーん 6歳から 存在と認識について 考えていたのですね(笑) さすがは 栴檀は双葉より芳し です! そして 子どもは誰でも哲学的な問いを持つが それを忘れさせられる 今の大人は 子どもに読み書きや計算は教えるが 同時に考えないことを 教えてしまっている 哲学的に考えないようにしていることは 過ちである と 話をまとめていました まあね 考えない方が楽なこともあるのですが ちょっと耳が痛いですね(苦笑) 彼の著作 なぜ世界は存在しないのか 本はしっかり購入しましたが 未だ積読状態です 意を決して ちゃんと読もうかな?(苦笑)
高橋医院